鮎見時子の日記
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2005年10月21日(金) 「結婚帝国女の岐かれ道」酷書評

読んでしまってむかついてネットで非難していたら
私のフェミニズムの認識を訂正してもらう言葉にであった。

*フェミニズムは女性が女性であるということだけで差別されることへの
抵抗をさし、
あの本、フェミニズムじゃない部分多すぎると・。

あの対談は、フェミニストとして結婚出産した、独身でフェミニストとして
成功した、成功者同士の対談で
成功した経営者どうしの対談なら夢があるけど
成功したフェミニスト同士の対談なんて反感かうの当然かもと。

**

そうあれはフェミニズムじゃない。
そう納得。

中年以降って自分がどれだけ頑張ったかの話は、
きく側の心境考慮しないとただの自慢、嫌味ほかなしってこと
常に配慮が要る。
喋りたかったら相手を選べ、自助や同類内輪で満足すべきで
本で対談ってのは・・・
ジェンダーや虐待の話の世界でお二人とも名まえくらいは
有名人だしね。。。
自分の印象下げるような出版はやめておけばよかったのに。

読んで気分悪くなるだけの本だったけど
むかついた話をネットでしまくった縁で

フェミニズムとDVの関係についての
私のイメージをフェミが細木数子の仲間だなどと
突飛な表現以外での文章化のヒントに出会った。

DVの支援をフェミがになう主力になったのは
フェミニズムが女性の問題の支援をやってる必然。

だけどそこにおおきい問題というか、
自分から求める加害者以外支援者は最初から
パートナーの言い分のみを聞く敵として登場し
そこが問題をこじらせてるような。
病理抱えてるのわかっていて対応が違う結果を
やっぱり加害者は加害者という態度が
私の道徳観と一致しない。
もちろん当たり前だけど、加害者の更正の責任を支援者や
被害者が背負う必要はない前提での話しだけど・

ついでにいえば被害者にとって加害者が更正すれば問題解決って
そんな単純じゃないとも思う。

被害者のなかでどのくらいの割合でそうなるかわからないけど
トラウマ後遺症、パートナーの回復するしないと関係なく一生
被害者としての自分を抱える二次被害と向き合っていかないといけない人も
いるだろうし、
もしパートナーが回復したらその後やり直す別れるかの決定は別ものだし

DVの支援もおきた、おきてる目に見えてる過去といまだけを
視野にしていても抜け落ちてるし
被害者だからって親の責任義務は免除じゃないし

でおもうんだけど
なぜDVはカタカナ英語で定着したんでしょう。
「パートナー虐待」にならなかったのがいまとなっては疑問
でも虐待は虐待というか
子ども虐待、これから徐々に明らかになる高齢者虐待

虐待の加害者、被害者という共通病理DVにだってあるはずなのに。


鮎見時子 |MAIL

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