鮎見時子の日記
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2005年10月16日(日) 過保護過干渉という名の虐待行為

被虐待児だった自分のことを
文章にしようと思って書き始めた二章目。
ちなみに一章目は「殴られない幸せ」
すでにUPしてあるけど書き足し推敲分を
この後、予定。

多分高機能自閉症なんだなと自覚した話も
入れたいけどいれたらごっちゃで誤解招きそうなのも嫌。
でもいれないとすっきりしない・・・

過保護過干渉という名の虐待行為

親の養育責任は子どもの自立能力をはぐくむ支援も入っているはずである。
過保護過干渉はその正反対。
子どもの自立能力や
それを育てることで発生する自尊心を押しつぶしてしまう虐待行為である。
虐待行為を受けて育った子どもたちなのだから、
過保護過干渉を受けた子どもはその影響で大人になっても
爪あと歪んだ心を作り直す作業に苦しむ現実があると思うのだが、
実際、ほとんど理解されない。語ろうとしてまず聴かされる言葉は、
「今更親のせいもない」この言葉で自己点検自己修正の出発点さえ、
いきなりさえぎられてしまう。

過保護過干渉は親側の意図でふたパターンに分かれると思う。
親が子どもに躾として能力を身につけさせたい場合の過干渉は、
一見外見の能力は身につくのだけど、
ただそれだけであって
心はつねにかつての干渉の恐怖に追い立てられていて
自己の幸せ実感もできないし、
その苦しさを表現しても周囲は親をほめるか、
立派な躾でいまのあなたがいることに感謝したらいい、
何が不満かと理解されない。
逆に私の親はこちらに属すけれど、
親自身が子どもの試行錯誤みていられない、
練習しないとうまく出来るわけがないのに、
その隙間が耐えられない親は口と手を出すので
自立能力は身につかない。
そうして剥奪された能力は、
思春期以降は、親に甘やかされて育ったからと非難される以外は、
今更親のせいもないでしょう。
努力の問題、自分がだらしないだけ、
子どものときの過去の話にも、
「いわれないように頑張ればよかったんじゃない?」
親も同じことを言いながら過干渉したのだ。
過干渉というのは努力するチャンスを奪う行為であることすら
なかなか理解されない。
子どもの方だけの問題にされてしまう。
ただ、昔はどうせ同じ過干渉なら
自立能力身についた方が人生に有利だったのにと思っていたが、
現実、そういう干渉を受けた人たちが、
能力いくらあっても何かに追い立てられ苦しんでいたり、
あるとき、息切れて精神的に倒れる人を
何人もみていたらどっちにしても虐待は虐待で、
幸せとは遠いと思うようになった。
幸い大人のいま思うのは、
私の親は過干渉はしたが過保護はしなかった。
その違いは大きく、
だからとりあえずいまの私が維持されているが、
過干渉を受けた子どもが大きくなって
後の心に残すダメージは、ほとんど認識されていない。
わかってもらえない。
私の場合は、とにかく何か決めようと思うとかなにかやろうと思うと、
目の前にいない親たちの声や監視の注視が
幻でも頭に再生され思考どころではない。
それをリセットして
いま目の前のことに集中する余計な脳内エネルギーの
浪費だけで疲れてしまうし、ストレスなのである。
そういうハンディを理解してそのうえで生きなければ、
頑張ろうと思うだけでは、空回りして
不思議に思うが
親が言い続けてきた「無能で怠け者な私」を完成させていく方向へしか進まない。
私は、そんなこと本心では望んでいないにもかかわらずだ。
少し話はずれてしまうが、
そうか私って虐待されていたんだと思った
最初のきっかけもやはり本「私は親のようにならない」
もう虐待関係の本としては古典にはいる年代に書かれた
アルコール依存症の親を持った子どもたちのために書かれた本だ。
読んでいて、そういえば
うちも子どもの私にとっては見るな聞くな言うなの世界だったよなと
漠然と思ったのだ。
親のようにならないと思うのに、気がついたら同じようになってしまう。
それとは逆に褒めること認めることが出来ない親、「なぜ出来ない」、「こんなに言い聞かせてるのに」、「おまえなんかに出来るはずがない。」口を開けば否定の言葉ばかりの親の子もまた、
なぜか親はそんな風になってほしくなくて言うにもかかわらず、
子どもは親の言った言葉どおりの人生に向かうことがなぜか起きている。
どうしてかは実際にはどうでもいいけど、
その軌道修正は、意思の問題だ、頑張らなきゃだめでしょう。やれば出来る単純なことなどなど、
耳にたこができるほどあらゆる場面で聞かされるほど単純ではない。
なぜならアルコール依存症の親の虐待とおなじく、
否定ばかり聞かされ過干渉の虐待された後遺症としての
いまを生きているからだ。
中年のいま開き直ってそう思う。
そしてその前提をはずさないことでしか
軌道修正の方向が見えてこないことも
誰もそうはいってくれないけれどそうとしか思えない。


鮎見時子 |MAIL

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