ふつうのおんな

2005年05月18日(水) 納得と諦め

今朝のニュースで 同じ日に別のところでRちゃんの子と同い年の子が用水路で亡くなったと知った。
そしてRちゃんの子がおちた用水路の映像を見た。

5歳じゃあがれないような高さ。

こわかったよね
見ていた友達もきっとこわかったよね
かわいそうに

それをみてから 何だかずっとおかしな感じなのだ。

死は、命を持つものすべてに平等に訪れる。
5歳の子にも
57歳の母にも
いつの日か私にも

それを心から感じた。
なんていうか、心の深いところで すごく納得したというか・・・。
死は、避けられない・どうしようもないことなのだと 諦められた感じ。
うまく言えないけれど。


足をマッサージすると母は最近よく転寝を始める。
というか、以前より格段にうとうとすることが多くなった。鎮痛剤のせいだろうか。
その母の顔をみていると57歳はまだ若いとはいえ ああ 年をとったなあと 苦痛は人を老けさせるというのは本当だなとしみじみ思う。
微笑む顔より 涙にゆがむ顔より 今一番最初に浮かぶ母の顔は疲れた寝顔だ。
ここ1週間ほどは母が何を言っているのか聞き取れないほど 母の口調が弱くろれつが回っていないことが多くなった。

もっともっと元気になって 一緒にふたりで旅をしたい
美味しいものをちょっとずつ食べて ゆっくりと美しい景色を眺めたり

でもきっとそれは叶わない。

腸のガスと下半身の目を覆いたくなるようなむくみさえなくなってくれれば もう少し気力がわくだろうか。
痛みと戦う気力
生きてやる 元気になってやるという気力

自分の身体が変形していく恐怖というのは経験したものでなければわからない。
私は5年前 左眼窩床骨折をしたのだが、バルーンを顔から抜いた後10日間の顔の腫れはすさまじく、それが顔であったがために殊更恐ろしかった。
「私は醜くなった」
同時期 精神的にダメージを受けることが他にもあり、私の髪はごっそりと抜けた。

母の顔にむくみがきたら 母にもあの恐怖がやってきてしまう。

痩せて頭蓋がうっすらと浮き出てきた母の顔

ここまでなら
ここまでなら化粧で隠せる

そう思いながら母の体に気休めの痒み止め(また痒みがきてしまいました)を塗り 自分の祈りが母の健康回復よりももっと小さなことばかりになってきていることに気がつく。

今日は夕方も病院に行くつもりなのだが、腰とひざを乗せるクッションを探してきて欲しいと父から電話があったので少し早めに会社を出る。
生きている時間と苦しむ時間がイコールなのであれば できる限り辛さを和らげてあげたい。


泣けない私の代わりに泣いてくれる友達がいることは ありがたいです。
ほんとにありがとう
心配かけてごめん
時間がうまく作れなくて会えない子が多いけど想いをかけてくれる存在がいることを うれしく思います。

chick me
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etsu

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