ふつうのおんな

2005年08月12日(金) 思い出す姿の違い

どうして妹は元気だった母を思い出して泣き
私は苦しむ姿ばかりを思い出すのか

ようやくわかった。

今朝会社に行く電車の中で 母が病院でゆっくりお風呂に入っていたら掃除のおばちゃんにでかい声で「長風呂の人がいるせいで帰りが遅くなる」といわれ とても悲しくなったけど文句を言わなかったことを急に思い出し、そのときの母の表情や気持ちを想像して怒りと悔しさで涙が止まらなくなった。
何度か書いてるけど 私はよく母のことを急に思い出して それは大体悲しい情景で 電車でも歩きながらでも家にいるときでもシャワーを浴びながらでもぼろぼろと泣き出す。

モルヒネで朦朧としているのに最後の最後まで浮腫みでパンパンの身体を引きずりながら自力でトイレにいく姿とか。
おならが出れば腸が動いている証拠だから と30分くらいウォシュレットで刺激してみたりとか 母は本当に執念の努力をしていた。
肝・腎機能が低下しててどう頑張っても最後のほうは何も出なかったけれど。

今思えば母の吐瀉物の色が黒くなっていった頃から もう体の中の機能はいろいろとだめだったのにね。

ともかくそういう辛い思いばかりがよみがえる。

それは 私が悪いんだってこと。
癌がわかってから2年あった。
旅行に行ったり週末は顔を出したりしたけれど 思い出をちゃんと作っていないのだ。
なにか特別なことではなく 泊まって一晩中話すとか そういうこと。

妹は生活をいっしょにしていたのだから 日常のいろんなことに母の面影を見て寂しくて泣くのだろうけど
11月からの入院中と3月から6月3日まで 私と母の過ごす時間は病室がほとんど全てだった。
最初の入院のときは妹が毎日通っていた。私ははじめの10日間は毎日行ったが2週目から健常者なみに復活してあっという間に退院が決まったのでまた日があいていた。

そして3月からこっち。
入院して1週間たつ頃には「絶対に毎日お母さんに会わなくちゃ」と思っていた。
急激に時間が過ぎるのが怖くなった。

私は家族の誰よりも 母が少しずつ内側から壊れていく様子を見つづけていたのだ。

ここ数年の間で母と顔を合わせて語り合った時間を全て足してもあの3ヶ月には及ばない。
日常で親孝行をしてこなかった分 長女として果たせなかった責任の分 私はずっと悲しみからは抜け出せないのだろう。

この悲しみの発作に襲われる日々は 罰であり 懺悔の時間なのだと ようやっと腑に落ちた。
であれば、心いっぱいに受け止めよう と思った。

chick me
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