ふつうのおんな

2006年05月04日(木) 神様 一体何の試練ですか?

この日記に何度も書いてきたとおり 私の母は58歳と6日で他界した。
胃がん発症の多臓器不全。
最期は苦しみぬいて病院で 私がそばで寝ている間に亡くなった。

そしてこの間は父が肺炎で入院したのだが3週間で退院した。
この退院は会社(父はとある企業の産業医)から3週間の診断ならそれできっかり出てきてほしいと請われ、あまりよくなっていないうちに退院したのだ。

この間は私とオットと旅行した。
今度は紅葉などのきれいなときに新幹線で遠出しよう、と話していた。

でももしかしたらあれが最後の旅行になるかもしれない。

今日実家に顔を出してきた。
4月の終わりから本当は妹夫婦と父はおととし母を連れて行ったハワイに行くはずだったのだが ハワイの記録的な長雨を知り「いやな予感がするから」と直前で一人キャンセルしたのだ。
妹夫婦はそれなら、とグアムに切り替えて昨日帰ってきたのだが・・・・・・。

まず、玄関を見て妹は「お客さん?」と思ったらしい。
見慣れない靴 それも介護用のようなマジックテープで止めるタイプの靴。
家に入って洗濯物が干しっぱなしになっているのに気が付き なにかあったと察したらしい。

父は几帳面な性格なのだ。何日も前の洗濯物が干しっぱなしというのはありえない。

そして父の部屋にいき愕然としたという。
父が何十年も大事にしてきた医学書類が全部なくなっていたと。
ついこの間オーダーして壁一面に作った本棚がほとんどスカスカになっていた。

「ああ、父は自分の身の回りの整理を始めたんだ。体に何か起きたんだ。」
と妹は泣き崩れたそうだ。

そして、父はというと 左の手と足、口の周りの主に左側に麻痺が出た。
泣きながら説明をきく妹に父はこういったという。
「世の中には住む家の心配をしながら闘病していたり、子供にほっとかれたりお父さんよりもっと大変な立場の親がいる。それに比べたら子供がいて孫もいて家もあって 闘病のためのお金の心配もしないで済むんだから 本当に恵まれている。」と。

先週の金曜出勤中突然左足がしびれて動けなくなり、ほうほうのていで職場にたどり着いたものの痺れがひどくなっていったそうだ。
帰りにデパートに寄って自ら介護用の靴を買ったと。
月曜に叔父(母の弟)を家に呼び、本の整理を頼み一緒に食事をして叔父に泊まってもらったという。

父の左足先は少しむくみが出ていた。
動かせないからなのか別の原因だからなのかは分からない。

ハワイ行きを父がやめたとき妹たちはちょっと不満だった。
ハワイといったのは父だったし あまりに直前で妹たちも行き先変更に奔走したからだ。
しかしもしも飛行機に乗っていたら 気圧の変化で浮腫みではすまなかったかもしれないし 何より帰ってくることができなかったかもしれない。

父は妹たちの不在を幸いとし、一人で階段を上る練習や廊下を歩く練習をしていたそうだ。

本当ならすぐに病院に連れて行くところだが父は医者だ。

くも膜下出血ではないだろう
脳梗塞とも違うようだ
であれば、糖尿から端を発したものでは?と自己診察した結果GW明けの8日の診察でいいと判断しているのだから 私や妹がごちゃごちゃ言うべきではない。
さらに連休であと3日間は丸々休みなのでゆっくりと寝てすごしたいのだという。

父が41のころ腎臓がんと診断され 外科的手術無に父は完治した。
しかし糖尿は父の体を蝕み何度も目の手術を繰り返し一度は足が壊疽しかけて切断寸前までいった。
そのころ作った外用と家用の杖を父は今また使い始めているのだ。

こんなふうにちょくちょくメンテナンスしているのは逆によいことで 結婚してから20年以上健康診断をしてこなかった母は胃がんになったわけだ。

ただ、母の死後父が私と妹の小さいころの声をテープに録音したものや家族旅行の8mm撮影したものなどすべてを全部DVDに焼きおこし(20枚以上あります)親戚に配ったり 自分の私物をどんどん整理していったりする姿を見て 私も妹もずっと不安だった。

定年後の夢を語る割には片付けすぎてる。


そして、麻痺。


父はもうワイシャツを一人できられない。
父は痩せているが骨格がしっかりしているのでワイシャツがすごく似合うのだがボタンを留められないのだという。

なんで?
破天荒なこともしてきたけど相対的に他人より真面目に生きてきた父が もう体の自由を奪われるの?
そんな父をずっとずっと支えてきた母はあんな苦しみ方をして58歳で死んじゃったの?
世の中もっと悪い奴もいやな奴も たくさんいるのに私の両親はそんなに早く自由を奪われてしまうの?
命は平等だというけれど だったら動ける体で最期まで生かしてよ。
今度こそ私の命と健康を父に分けたいんだけど どこの誰に頼めばやってくれるわけ?

それとも母がそんなに呼んでるのか
だったら仕方ない
けれど母は父の体が動かなくなって娘たちに負担をかけるような連れていきかたは絶対にしない人だからきっと母じゃないよね。

父が足をあちこちにぶつけると聞いたので父の爪を切った。
父の足の爪を切りながら あ、私生まれて初めて父の足の爪を切っている と思った。
私が悪戦苦闘しているのを見ながら父が「娘が二人いてほんとに幸せだな」と言ったのを聞いて私は母がまったく同じことを言ったのを思い出し「死なないでね また元気になってね」と叫びたいのを懸命に押さえ込んだ。

世の中にはできたお嫁さんもいるだろうし息子もいるだろう。
しかしうちは、私と妹の二人でなくてはならなかった。
母は男の子をほしがっていたけど 私たちどちらも男じゃなくてよかったね と母が病院にいるときに足を洗ってあげながら冗談めかして言うと 母は半べそをかきながら「ほんとうにそうね。あんたたちが産まれてくれてほんとうによかった。」と言っていた。

8日の検査の結果でもしも長期の闘病を覚悟する状態になったら 父はすべての検査の後は家で過ごしたいといった。
妹も妹の夫も快諾してくれたそうだ。

体の自由が利かない人間の自宅療養というのは 世話をする人間には計り知れない負担がかかる。
もしそうなったら私も週末ごとに自宅にとまりに行くべきだと思っている。
せめて土曜日と日曜の夕方までは妹たちの手が空くように。

どうか糖尿だけであってください。
杖なしに戻れる生活をください。
母が逝って一年経っていません。
もっともっと親孝行する時間をください。

chick me
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etsu

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