午前中、奥山貴宏のブログを読む。 (彼は17日に亡くなりました。この日記は22日に書いています。) 死と馴れ合わない人の日記だ。 読んでいて胸がつまる。
両親は父の郷里にお墓(の土地)を買った。 今回はそれを見に行くのも目的の一つなのだ。 真言宗のお寺の、父のご先祖様方が眠っている墓地の一角で、 その墓地はお寺から正式(?)に行くこともできるが あぜ道を渡り、弁天様の裏を通り、りんご畑の横からも 行くことができる。 墓地の裏は田んぼが広がり、その向こうは福島盆地を取り囲む なだらかな山々だ。 夏は稲の匂いの風が吹き渡るような場所だ。
私が小さいときにお墓に行く時は、いつもりんご畑コースだったなあ。 お盆のお迎えに行くとき、父の地方は夜行くので、 帰りに弁天様の池のところを通るのが怖くて よくおぶってもらったりしたものである。
夫と私も死んだら分骨して半分このお墓に入れてもらうことにした。 「しいて言えば散骨かな」と、 死んだ後どうしてほしいか以前聞いた時に夫はそう言っていたのだが 今回誘ったら(どういう勧誘だ?)そういうことになった。 (夫の両親に申し訳がないので、半分は(夫も私も)鹿児島にかえります。 可能ならば錦紅湾に撒いてくれるよう息子に頼んでおきました。) お墓にこだわりなんてなく、野垂れ死にでもいいや、とずっと(今も) 思っているのだけれど。 でも 「お墓、買ってよかったね。 おじいちゃんやおばあちゃんやおじちゃんのお墓もすぐ近くだし、 お父さんとお母さんが向こうでちょっと待ってると 婿殿も私も行くからね。 そうしたらまたみんなで楽しく暮らそう!」 などと言っていると、なんだか安心したような気持ちになる。
お墓の話を書いたけれど、まだ父は普通に暮らしています。 ひどい痛みが来たとき、 あちら側での暮らしの想像図が役に立ってくれますように。
午後から息子の学校の母友とお茶。 Sさん、Mさん。
晩御飯(なんだったか忘れました)の後、 Aちゃん、Iちゃんとお茶。 息子に留守番をさせ、午前3時過ぎ帰宅。
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