夜遊びが過ぎてぼやーっとしているが 夫達が朝早く父の郷里を立って帰ってくるので、一応起きておく。 お風呂を沸かしておいてとメールあり。
Kさん(菜園仲間)、野菜(ほうれん草、ミズナ)持ってきてくれる。 一時一緒に暮らしていらした親戚のおじいちゃんが先月亡くなったそうだ。 うちの両親ともなかよく付き合ってくださった方で、 Kさんが面倒をみたかったのだが、いろいろあってそれはかなわず 遠くの息子さんの経営する病院で亡くなったそうだ。 なくなる前お一人でいる時間が長かったそうで Kさんはそのことを不本意に思っているようだった。 (こちらで一緒にいたら寂しくなかったのに。) 私は「寂しい最期でしたね。」なんていうのは あのにこにこしながら蘭の鉢を届けて下さったおじいちゃんに 失礼な気がして 「またそのうち向こうでお茶飲んだりして楽しくしようね。 みんなやがて行くんだから、また会えるよ。」 と言う。
死んだらそれで終わりとずっと思っていたのだが 最近、向こう側でまた会うんだから、ということを平気で言っている。 本当にまた会うことができるのだったらどんなにいいだろうか。 来週納骨とのことなので、今までのお礼を伝えてもらうようにした。
私が仕事でばたばたしている間に、仲の良かったいとこが亡くなった。 脳幹のダメージが大きい脳内出血で、47歳だった。 早くにお嫁に行き、早くにおばあちゃんになったそのいとこは 去年の夏父の郷里に遊びに行った時、 孫ちゃんを連れて会いにきてくれたのだ。 息子はびくびくしながら初めて赤ちゃんに触らせてもらった。 いとこは、若い、きれいなおばあちゃんで その時の笑い声を思い出して、本当にまた会いたいと思う。
死は親切な顔をしているって何の本で読んだのだったろう。
10時前、夫達帰ってくる。 親戚友人その他たくさん人が遊びにきてくれたそうである。 わはは、わははと過ごした2日間だったらしく お墓の話をしたら一番仲のいい叔母夫婦は 「そのお墓、楽しそうだから仲間に入れてほしい。」と言っていたそうである。 別の叔父夫婦も近くにお墓を買いたいらしい。
父も思ったほどは疲れていないらしく、 少し休むと庭で胡瓜の苗の世話をしていた。
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