鼠小僧白吉のうだうだ日記

2003年04月20日(日) 10年

篠原美也子のライブに行ってきた。ピアノ1台、ステージにはひとり。そのステージに多くの観客の視線が集中する。

どうも最近ドタバタしてる。このうだうだ日記に書きたいことがたくさんあるのに、書く暇があまりない。
仕事で京都に行ってきた。かなりドタバタの出張でヘトヘトになった。京都はおいらの好きな街。始めて行ったのは10年ほど前かな? 今年1月、他界した祖父と一緒に行った。あれから何度京都に足を運んだかな? 仕事でこの街にくるのは始めてだ。地方出張は1年ぶりということもあり、行くまではかなりウキウキしていたが、やっぱり遊びで行くのと仕事で行くのは違う。あたりまえのことに改めて気がついた出張だった。

木曜日、東京へ向かう新幹線のなか。いつも呑みに行く武蔵小山のBARに集まる人たちからメールが入ってくる。「今どのへん?」。10年ちかく住んでいる武蔵小山。最近、この街がかなり好きになっている。

金曜日、10年近くおいらが世話になっている人に会いに行く。バカ話からちょっとまじめ話までイロイロな話をしてくる。気がつけば夜10時。こういう時間はあっという間に過ぎていくもんだ。

そして日曜日、篠原美也子デビュー10周年記念ライブ「one more step to the spiral」を聞きに行く。渋谷ON AIR WEST。このライブハウスにはなんだかんだ言ってここんとこ毎月足を運んでいる。

篠原美也子といううたうたいの存在に気がついたのは実は昨年のことである。「東京百歌」というON AIR WESTで行われているライブイベントに、ちょっとしたきっかけで足を運ぶようになり、そのイベントで篠原美也子といううたうたいを知った。

彼女のデビュー曲「ひとり」。10年前にこの世に出た曲の存在を、おいらは10年のあいだ知らないでいたが、東京百歌というイベントを通してこの曲を知り、そしてこの曲をきっかけに篠原美也子といううたうたいの世界に魅了されていった。

CDがほとんど入手不可能なため、中古CD屋でやっと手に入れたCDと、ライブでの演奏で篠原美也子の歌を聞いているのだが、彼女の歌、詩の世界は、どうしようもない心のモヤモヤを歌ったっている歌が多いと思う。なんかそうした詩の世界が、おいらの心に妙に響くのだ。特に最近。

篠原美也子ワンマンのライブに行ったのは今回が始めて。東京百歌といういろんなアーティストが出演するイベントライブの時の篠原美也子とは違う篠原美也子を見ることができた。やはり40〜50分のステージと3時間のステージは違う。

心の底の底から感情を絞り出して歌う篠原美也子。ライティングの光りがドライアイスのスモークのなかを交差する幻想的なステージ。そのなかにピアノ1台、篠原美也子ひとり。そしてライブハウスをうめつくした観客は、ひとりひとりその幻想的なステージに魅了され、引き込まれていっている。

オールスタンディングでワイワイという感じのライブではない。篠原美也子のうたう歌をひとりひとりが、静かに聞き惚れている。でもその聞き惚れている感情が会場を包みこんで、ライブハウス全体がとっても幸せな空気に包みこまれている。

篠原美也子さんにとってデビュー10周年のライブ。いろいろなことが思い出されたのか、美也子さん、舞台のうえで泣いていた。美也子さんを知ってまだ1年弱。最初の10年は10分1もしらなかったけど、これからの10年は全部聞いていきたい。そう思ったライブだった。

しかしそれにしても10年という月日は長いと思う。10年前高校生だったおいら。いろいろ考えていたあのころ。10年後のおいらをどう思い描いていたのだろう。あの時思い描いていた自分に、少しは近付けているのだろうか。それとも、見失ってしまっているのだろうか。


「誰のようでもなく」(篠原美也子)
なんか違うように思う なんかおかしいように思う
でもすべて時代のせいに出来る程若くはなく
あきらめ悟ってしまう程 生きているわけでもなく
自分を探してみたくてやっと今 一歩目

誰のようでもなく 誰の為でもなく 誰にも似ていない

I'm nobody


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