シアターコクーンにて、蜷川演出大竹しのぶ主演『メディア』を拝見。 弟を殺し、故郷を捨ててまでついてきた男に捨てられ、 夫の新妻とその父親、自分の子供達を殺してしまうという悲惨な劇であるはずなのに。 ほぼ二時間近くの芝居中、ずっと怒りを持続させ、人を殺め、 最後は自分の殺したわが子を抱き空飛ぶ竜の車に乗ってアテネーに去ってしまうメディアをあたしは何故か、可哀想とか、残酷さとかもあんまり感じなかった。 なんていうか。 むしろ爽快?(えー)
もちろん、 「せっかくそこまで育てたのに自分の子供殺すなよ!」とか、 「一人でアテネーに行って新しい人生をリセットすればいいじゃん」とか、 理性と感情であたしは時々突っ込みは入れそうになるんだけど。
メディアが生きてきた人生が語られると必然なんだろうなというか。
メディアという人は、 問題が起こった時、 途中で「まあいいか」とあきらめたり、逃げたりしない。 人とぎりぎりまで対峙して、そしてその結果を後悔しない。 潔くて、あの行動以外に道がないと、 そこまでの残酷なしうちを行わないと自分は前に進めない。 だから、そうしたんだろう。
だから。 血にそまった子供の遺体を両手に抱くメディアの表情は、 そこに悲しみはあるけれどもとても穏やかだ‥‥。
という人間像がものすごくナットクできた。 納得できるか好きかは別の問題で、 彼女を理解できるかとか友達に欲しいかといわれるとあたしは絶対嫌ですけどね。
ギリシャ悲劇といわれて、装飾的な言葉で煙に巻かれるかと思っていましたが、やたらエネルギーを感じるおもしろい芝居でした。 観にいってよかった。 大竹さんも声のきゃんきゃんした感じが苦手な役者さんだと敬遠してたけど、女々しくないメディアはいやじゃなかった。 でも、演出でいえば最後に搬入口をあけるのは別にいらないんじゃないかと思う。 非日常なら非日常のドラゴンの車で終わらせて良かったし、結構しらけた部分があるかなあ。 よく演劇を見に行く友だちによると、 「蜷川さんのコクーンの芝居では3回に一回くらい、後ろ空けて終わるよ」 って。 それってどういう‥‥。(自粛)
そしてライフの王子。アイゲウス笠原。 深刻な話をしている中で唯一メディアの未来に光を与えてくれる男。 ある意味、絶望の中でこの人が現れなかったら、 メディアはイアソンを殺して自分も自死という閉ざされた道を選んでいたかもしれない。 アイゲウスに会ったことで自分の生きる道がまだ開かれていることを悟り、 今の状態に決着をつけることにしたのかもしれない。 そんなキーポイントになると思われる役をあくまで明るく、アホっぽく(おっと‥)演じてらっしゃいました。 アテネーに行った時に庇護して欲しい、約束して欲しいというメディアに 「誓いの言葉はどれがいい?」ですからね! そのあと、たたた〜〜〜と水の張った舞台の奥まで軽く走って、 ろうろうと宣誓してしまう軽やかさと男ぶりのかっこよさったら! まいったよ‥‥。 ちょっとステキだったです。 金髪長髪+髭にサンダル。 アラブ首長国連邦の王みたいな姿も似合ってました。 パンフの写真はイケメン系眉をしかめた顔で撮れてたので、みてて気恥ずかしくなってのけぞって笑ってしまいましたが‥‥ごめん。王子。
皆様が多分気になっていたと思われるyokoちゃんの二十分割チケットの件ですが。 一瞬怪訝な顔をされたものの、普通に入場できました。 テープで修理するときに、ミシン線部分を丁寧にはずしてつくろってあったのが勝因?

yokoちゃん談。 「このチケットはぴあとかe+でもなく劇場扱いだったのですよ。 まっすぐに切れてたので、タイトルが一番上なのか、文化村と入ったロゴが上なのかわかんなくて、 前にコクーンに行ったときのチケットを探し出して、それと同じ形になるように並べて貼り付けました」 苦労したね。(涙) でもある意味自業自得か。(爆)
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