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『死んでいる』 J.クレイス
2004年09月28日(火)

『死んでいる』 J.クレイス

★★★


朝日新聞の書評で川上弘美が「死の本質に近いものを捉え得たのではないか」とかなんとか書いたそうだが、そうかもしれない。少なくとも、「死」という古今東西にわたる文学の一大テーマに対して、このささやかな小説が打ち込んだ楔はなかなか侮れない。

登場するのは50代の動物学者夫婦
明るい日差しに誘われ、若き日の思い出の浜へとピクニックに出かけ、あの日と同じように愛を交わそうとして、半裸で惨殺される。そこから「死んでいる」日々が始まる。

肉体的な「死んでいる」状態の描写がことこまかであるが、あまりグロテスクな感じを受けないで読めるのは、写実が徹底しているからだろうか、それとも自然界の営みに情が介在する余地がないからか、はたまた、それは生き物たちの生を支えることになるからだろうか。死を受け止める自然はじたばたすることなく、淡々とことを運ぶようで、それもまたよし。

夫婦の死そのものも相当猟奇的なシチュエーションといえるのに、おぞましさは希薄である。夫婦は即死に近く、殺人犯の追跡はない。

話は現在(「死んでいる」状態)−過去(その浜辺での研究合宿を通した出会いと合宿所の火災、研究者としての日常、夫婦の微妙な齟齬)が交差して語られる。終盤、迷惑がりながら両親を探さざるをえない不肖の一人娘が登場、死体の確認をして、二人の死を受け止める部分もかなり大切な部分。この娘の反応がありきたりではない分、思いがけない説得力に富む。「死」がもたらすものは喪失だけだろうか?死者にとっては生からの解放だが、生きる者にとっては生きていたる者(=死んでいる者)からの徹底的な解放も「死」の置き土産である。

作者は肉親の死によって「死」のテーマに取り組むようになったそうだが、確かにその「取り組み」の真摯さを感じさせる作品である。
白水Uブックス




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