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『江戸人とユートピア』
"the little flowers of saint francis" は出かけるまでのほんの少しの時間にぱらぱらと1話、お茶を飲みながらまた1話、という程度の時間で読め、しかも無学の者にもわかりやすい内容で、ふんふん、とばかりに今日も楽しめた。(ただし一度に何話も読むと飽きて眠くなる。)
本当に聖人のありがたい(としかいいようのない)、しかし同時にしょーもないエピソード尽くしなのだが、だんだん、こういうものも世の中に必要かもしれないという気になってきた。愚民教化臭ぷんぷんなのだが、神との交感を求める人間の真摯な姿(その階梯にある世俗との決別と滅私の善行、慈悲の行い etc...)を伝えることに意味があるのではないか。少なくとも、そういう話にそれなりに価値をおく人がいたのだ、ということが実感できる。
さて『江戸人とユートピア』(日野龍夫 岩波現代文庫)30年近く前に書かれたもので、荻生徂徠とか服部南郭、五世市川団十郎などを取り上げた論文集である。しかし、これほど血の通った感じのする論文集も稀有といえる。昨今、論文点数主義が大手を振ってまかり通り、論文のための論文が量産されるけれども、そんなものを10本集めたところで、本書所収の1本の重みにも敵わない。思うにご本人が昨年なくなられたから、文庫化して再び広く読まれることになったのだろう・・・ご存命だったら、いろいろ手を入れたいところもおありかもしれず、たぶんこの形での再版はなさらなかったのではないか。
本書で扱われるところの最も有名人、荻生徂徠とて、一般には日本史の時間か、倫理の時間に名前と古文辞学派という名称をなぞっただけで終わる。関心のある人は、丸山真男の論文とか読むのかもしれないけれど、そこではやはり<思想>だけが問題にされ、どんな人間がそう考えたのか、という生臭い部分は等閑視されがちである。しかし、日野氏の知見と筆力は見事に人間としての徂徠を描き出す。人となりを検証しつつ、その言動に目を向けると(つまり日野氏の筆にかかると)、徂徠先生のお言葉がにわかに息づいてくる。自信満々の鼻息の荒さと同時に、憤りの深さ、肥大する自負心・・・こうなってくるとまさにこれは文学の課題であろう。
というわけで、そもそも論文集とはいえ、それ自体がちょっとしたノンフィクションを読むような面白さがある。周辺知識があるに越したことはないが、なくても不自由はない。学問の成果を世の中に還元できるような論文集である。実際、ここまでやるのが学者の誠意というものであろう。自分たちだけでわかっていたって仕方がないじゃないか!
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