書泉シランデの日記

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司書さんの話
2005年01月14日(金)

図書館の司書さんと話をする機会があった。今の子は本を読まない、という話題はほとんど挨拶代わりだ。ただ、耳新しかったのは、「彼らは読みたがるけれど、『絶対面白いのはどれ?』と尋ねて、無駄を嫌う」ということ。司書さんいわく、「私が学生のとき読んで面白かったからって、今の子に面白いとは限らないでしょう?何が面白いか、自分で見つける楽しみが読書の楽しみの一つなのにね」

うちの息子も、何読んだらいいかわからない、とぼやく。つまらなかったら読むのをやめて、別のを読めばいいだけなのだが。彼の問題は、本を買うと必ずそれが家にあり、しかも読んでみても彼には面白くない本と相場が決まっていることだ。この間はウルフの『灯台まで』を持っていた。それって親の私が学生時代に読もうとして結局挫折した本だよ。彼には無理、ムリ。

私の知っている女子学生は、日めくりの標語が3行程度に分かち書きをしてあるだけのものを「詩集」だと信じていて、「長い小説読むより、いいたいことがすぐわかるからいい、落ち込んだとき元気が出る」という。そりゃちょっと違うでしょ、といいたいが、それでも本を読んでいるのだから、水を差すのも気が引けて、「ああ、そうなんだ〜」と物分りのいい顔をしてしまう。そんなにすぐわかりたきゃ、「元気を出して頑張りましょう」とだけ書いた紙で十分じゃないか、と思う。大体、その程度のものを「詩集」だなんていって売るのは、燃料用アルコールを焼酎だといって売るくらいひどい詐欺だ。腹は壊さなくても、頭が壊れる。

詩に限らず、文学的な作品は、そこに書かれていることを超えた何かを伝達できなければ、わざわざ書く意味もないし、読む意味もないと思うのだけれど、これってマニアのたわごと?




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