書泉シランデの日記

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謹賀新年
2006年01月03日(火)

去年の新年読書初めは『源氏物語』だったような気がします。忘れた頃の拾い読みなので、1年かかってようやく宇治十帖に入ったところです。今年は辻惟雄『日本美術の歴史』、昨日、香港からの機内で読み始めたので、当然、まだ読み終えていません。もうちょっと長く乗らないと読書には不向きかも(「数独」には最適ですが)。

今日はもう食べなくていいんだ!というのが朝起きたときからの密かな喜びでした。そんなもったいないこと、いっちゃいけないことは百も承知なんですが・・・。香港、何を食べてもおいしかったとはいえ、私の胃袋のキャパシティーはそんなに大きくはないのです(財布と同じくらいか?)。

名高い福臨門の上湯は確かに美味でしたし、満福楼の鹹魚鶏粒保飯(正しくは保の下に火)も絶品でした。許留山や糖朝の香港スイーツもさわやかでした。黄一家と大きなテーブルを囲んで、沙田で頂いた飲茶もこれぞ香港ファミリーという感じでとても楽しかったのですが、ですが、ですが、たぶん今の私は「食」にはさほど入れ込めないのですね・・・これが老化ということなのでしょう。

20数年前に行ったときは、朝から晩まで、今日は陸羽だ、明日は鹿鳴春だ、と食べ歩いたのですけれど、この間の香港の変貌以上に私の変貌は大でした。香港はびっくりするほどきれいになりました、私はそれと同じくらいか、もっとふけました。加えて食べ物への執着が大いに失せていました。食べるほうはもう普通でいいです。3日目の朝は日和って私一人カフェで済ませました。

そんなわけで、たいした香港報告はないのですけれど、食欲と購買欲の充実した方たちはあまり足を向けない博物館を2ヶ所回りました。市内の歴史博物館と新界の文化博物館。

私たちは香港の歴史ってアヘン戦争くらいからしか考えませんけれど、日本と同様、中国の辺境だったんだなあ、と思いました。唐代の出土品という「土器」が実に「土器」でして、藤原京あたりで出てくるのと似てきましたもの。

あと、蝦醤の製法の展示がいかにも館内の一等地にあったことも食文化の個性が根強いことを感じさせられました。正直、私は当分、海老は食べたくないです。

実は私は中国本土へは行ったことがなく、辺境の日本に住んで、台湾、韓国、香港しか知りませんが、それぞれの辺境性が微妙に一致したり、違っていたりして面白いものを感じます。何も日本独自、とそう声を張り上げなくても、古代中国の辺境だという一点から、東アジア各地のそれぞれの発展を捉えることはできないでしょうかね。中国の申し子の一人で何か不都合があります?

後者、文化博物館はそれを新界に建てること自体に若干の政治的主張が匂いますし、中身の充実度はイマイチ(建物は立派、今後に乞ご期待)。現代中国画−嶺南画派というらしいですが−趙少昂の展覧会は説明ビデオがとても面白く、大いに鑑賞の役にたちました。枯れた睡蓮の葉と寒そうな雀の絵が素敵でした。

加えて、ここでは珍しい人に出会いました。かの「楼蘭の美女」!おやまあ、こんなところでも出開帳ですか、と懐かしく観覧。どこかの国での開帳と違って、空いていてよござんした。

さ、これから平凡なご飯を作って食べよっと。



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