櫻です。
最近、ウチの近所がオシャレになった。
なんつーか、もともと古い商店街のある街、いわゆる
“下町”
だったのだが、ここ最近、事にコじゃれたアンティーク風のカフェまがいな店だのタコス屋だのショップだのが急増してきている。
街が栄えるのは歓迎である。
しかし、このバブリーな繁栄の仕方には一抹の不安も隠しえない。
街が“下町化”すると言うことは、ヒトで例えるならば、30歳も半ばを過ぎて角も取れて、人格に円熟味を帯びてきたと言う事だと思う。
『味』
が出てきたという事だ。
それが急に今風にリメイクされ、時間軸の流れと異なるスピードで繁栄すると言うのは、非常に危険だ。
具体的に言うと、雑誌、新聞、テレビなどメディアの媒体を使って一時的に街にドーピングを与えるという事だ。
“今”
一時的に栄えたとして、10年後の事ってみんな考えているのかなって思う。
例えば、北堀江やミナミ船場など、黎明期から繁栄期を経て現在を見ているだけに余計にそう思う。
ブームに乗っかって、注目の街にオカユカフェだのを開いたとして、一世代先の未来にまだその店って残っているのだろうか?
あくまでワタシ個人の意見かもしれないが、それはほぼ間違いなく
『否』
である。
急成長。
その裏地となる体力が無ければ、存在が消滅する時期を早める結果になってしまう。
…今、我々は「ドグマ散ル」と言う船に乗っている。
少なくともワタシは、十年後の「ドグマ散ル」の姿を想像しながら船の舵取りを行っている。
そして、私達五人が五人とも、
十年後に
今のメンバーで、
“今”よりも少しでもたくさん世界が見える場所へ。
それが希望である。
その為の今なんである。
二年三年暴れてお終い〜みたいな眠たい事を考えているヤツはドグマにはいない。
肩で息をしながらめいいっぱいオシャレをしているご近所様を毎日チャリンコで通りながら、この街は少しだけ切ない。
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