本来、中国では、餃子と言えば“水餃子”の事を指す。
皆様コンバンワ、平成のウンチク王、櫻です。
今日、友人の中国人留学生が餃子を作ってくれた。
皮から中身から、全て手作りである。
小三時間ほどかけてコツコツ作った本場の餃子はぷるんとした皮にジューシーな肉汁を湛えた、絶品だった。
出来上がった餃子に付ける“タレ”に、ポン酢、ゴマダレ、酢醤油などを用意した。
しかし本場では、
“酢”
のみを掛け食すと言う。
一つずつ試してみたが、なるほど、「酢」のみが一番美味しい。
って言うか、飽きが来ない。
いくつでもお腹の中に消えていく。
先人の知恵とは素晴らしいものであると関心させられた。
なんとなく、グルメコラムになってしまった。
ところで、中国では小麦粉を練ったものを総称して
“麺”
と呼ぶらしい。
彼は餃子の「皮」の事も「麺」と呼んでいた。
日本では、“生地”と呼ぶ。
例えば、パスタであるとか、ピザであるとか、生地を練っているとテンションがあがってくる。
始めはボソボソの屑と水分が、不細工にボウルの中でモゴモゴしている。
だんだん、粉が水分を吸収し、マッタリとした、ぷにぷにでツヤツヤでとぅるぅ〜〜んとした(擬音しか思いつかない)生地に成長していく。
完成した生地は、ハリがあって艶があって弾力もある、なんともエロティックな純白の塊に変身を遂げるのだ。
その触感は正にボイン!
オトコの桃源郷、鋭気の源だ。
いつまでも揉んでいたい感むんむんだ。
その生地を伸ばし、切り、茹で、ソースなどと合わせると、興味は食欲の方のみになる。
後はやっつけるのみだ。
殲滅。
轟沈。
完食。
そんな感じだ。
おいしいものを作る事は別に好きではない。
一人でいる時=日常はホントに昼さがりのオカン同様、冷や飯で十分。
レンジでチンする事すらめんどくさい。
ましてや、切ったり炒めたり煮たり、ウザい事山の如しだ。
料理とは、理系である。
コレとコレを合わせると、差し引き=料理みたいな。
面白くない。
だが、生地をこねる作業は好きだ。
花を育てるのに似ている。
時間の経過と共に、少しづつ状態が変化していく。
季節や室温、湿気の状態で微妙に出来上がりがかわる。
楽しい。
観察するのがたまらない。
その上、出来上がったモノは食べる=始末する事ができる。
だから料理をするのかもしれない。
最近料理人の世界が激変した。
マネージメンタリズムの渦に飲み込まれてしまって、出来あがった部品を組み立てていく作業のみになってしまった。
いつか。
寿司職人だとか、パン職人だとか料理人だとかって絶滅すんじゃねーかな。
だって蔵寿司おいしいもん。
ぷりんあるし。
わざわざプリンなんて焼かなくてもフタを空ければすぐ美味しい時代がきた。
魚はパックで売ってるし、肉も右左なんて知らねーよね、みんな。
時代の移ろいに感傷は全くないが、ワタシの楽しみだけは奪うな。
それが院長の哲学である。
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