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2005年03月30日(水) 嘘。


小学校2年生の時であったと思う。
髪留め(いわゆるパッチン留め?)を学校で遊んでいて無くした。
その時は祖母の家で暮らしていたので、家に戻ったら早速パッチン留めを
何処へやったか 祖母に訊ねられた。
「上級生の女の子が 髪から取って遠くへ捨てた」
と言ったような事を私は答えた。

祖母は決して厳しい人ではなく、落としたのだと言えば「仕方ないね」で
済んだのであろうが、相手の子の人相まで具体的に私は答えた。
それを憶えている。
そんな事をずっと憶えているくらいなので、私は上手い嘘が 今も吐けない。

嘘を上手く吐く方法、それは吐いた嘘を自分がまず 信じてしまう事だ。
だから「これは嘘だ、自分は嘘を吐いているのだ」と思いながら吐く人には、まず
上手い嘘は吐けない。
そして上手い嘘は 実際は練習して吐ける様になる物でも無いようだ。
言った先から嘘を本当にしてしまう、ウソ発見器もびっくりな人の吐く嘘には
結局 敵いっこないのだ。

小学2年の時、上級生に髪留めを捨てられた。こんな風に記憶に残っているようで
あれば、私だって 上手い嘘吐きになれた可能性はあった。

何より自分が信じている嘘を、他人に信じて貰う事は割と簡単だ。
だがそれが嘘であると突きつけられた時、混乱が生じる。自分とっては最早
それは嘘では無いのだから、信じない相手を酷い奴だと思うかも知れない。
普通 だと思って吐く時は、嘘吐き呼ばわりされたくない人間にはなるべく吐かない
ように心掛ける物だが、自分から信じてしまうタイプは まず信頼している人間から
嘘を吐いて行く。無意識で を周囲に築き上げているようにも思える。

「私は嘘を吐いた事がない」「あ、今吐きましたね」
なんて小噺があるくらい、人は嘘を吐く。嘘も方便なんて言葉もある。
私だって随分 嘘を吐いて来たと思う。自分が嘘吐きじゃないとは思ってないけど
技術で嘘を押し通すのは限界があるので、取り返しのつかない嘘は多分これからも
吐かないだろう。細かいのはしょっちゅう吐くけど。
いよいよ肝心な事は、本当の事を言ってしまった方が実は 余程楽なのだ。
私は楽な事が大好きである。周囲もそれはそれで 結構迷惑している。

「あの人がそんな事をする人には思えない」
心から思ってくれるのはイチゲンさんだ。付き合いが深くなれば、嘘吐き癖
真っ先にばれる。そんな変な癖、あると思ってないのは本人だけ、悲劇的だ。
それでも許して、側に居てくれようとする人間だって結構居る。
だが、許されている事も気付かないのであれば、何れ周囲も恐れをなす。
嘘に対する、罪悪感を持てない人間ほど怖い物はない。

小さな嘘を吐いた後でも顔色が変わる、胃がしくしくする、重くなる。コーヒーが苦い。
本の活字が目に入らない。人に見られるのが何だか嫌・・・。
そんな小市民的反応は 情けないが喜ぶべき事かもしれない。
痛かったり 苦しかったり 憂鬱だったりするのが好きな人はいないので、
特別 嘘と馴染みの良い人以外は大抵、吐いてもなるべくちょっぴり、そして吐いた
事を憶えていて、なるべく次は吐くのは止めようかなとか思うのだ。









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