不機嫌なブーケ QLOOKアクセス解析

目次戻る進む


2005年03月31日(木) 時間をこえる。


行きたいところへは 大抵行ける。そんな時代であるようだ。
知り合いの幾人かは旅行好きで、地球を半周やらほぼ一周やらしている。
治安の良い、大きな国ばかりではあるが。
空間を越えて行く時間は 次第に短くなり、価格も安価になっているらしい。

そんな時代にあっても、隣町にすら 行けない場所がある。
子供の頃遊んだ 空き地はもう無い。ごろごろ石の山道は 坂の両脇に瀟洒な住宅が
建ち並んでいる。どれほどしっかり頭に焼き付いていても、それはもう存在しない
場所なのだ。だから行けない。
家の前の小路を行くといきなり柵も無い崖になっており、正面に線路と海が、左手に
町が一望出来た。どれももう、存在しない風景だ。

年賀状で「会いたいね〜」「今年は会えるといいね〜」と言い続けて10年以上と
言う友人も何人かいるが、彼女らと会おうと思えば、きっと会えるのだ。
そして多分、いつか会える日も来るのだろうと思う。
だが10年前に足を止めてしまったあの人とは、二度と会えない。
今も千葉で、東京で、名古屋で 暮らす彼女たちの声は学生時代の時のまま思い出す
事が出来るけれど、それと同じかそれ以上に、鮮明なあの人の声は二度と聞く事は
出来ない。

半世紀ほど前のSF小説、或いはドラえもん。『夢の道具』を越えた物を 現実は
幾つも作った。だけど長い事、多くのSF作品に登場し、ドラえもんでもお馴染み
タイムマシンだけは、実現可能な夢から 相変わらず遠いところに置かれている。

宇宙旅行は個人レベルで、まあご近所なんだろうけども 行けるところまで話が来て
いるみたいだけれど。
空間は何とか出来ても、時間はどうにもならない。

どれほど鮮やかに記憶に残っていても、幼い頃の隣町の風景は、もう死んでしまった
風景なのだろう。時間を超えると言う事は、死んで また生き返ると言う事を 何事も
無かった様に繰り返すくらい、無茶苦茶な事であるのかも知れない。



リリオペ  ブログほーむめーる

My追加