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「あの子と遊んじゃいけません。友達になっちゃいけません」
もしも子供が生まれて、大きくなったら これだけは言っちゃならんと思ってた。 母親同士が不仲なために、随分気の毒な思いをしていた友人を知って居るからだ。 小学校の高学年にもなれば親友と言うものが出来て不思議じゃない。 女の子は特に、物を貸し借りしたりトイレに一緒に行ったりトイレ以外の 場所も一緒に行ったり、遊びに行ったり呼んだり、マメ〜なお付き合いが 始まる。 友達取っただの取られただので喧嘩になったり、果てはそれが原因で イジメの元祖みたいな物が始まっちゃうのもこの時期だった。
これが中学から上になると男を取ったになるんだけど。今はもっと早い?
とにかくA子とK子は仲良しで、親友だった。 活動的で美人のA子、お洒落に興味があり 今考えるとかなり早熟だったK子。 でもこの2人、母親が町内でも有名なほど仲が悪かったんである。 我々がきんちょにも知れ渡ってしまうくらい。 だって私が遊びに行ってても、K子のお母さんは 「いいかいAちゃんと遊ぶんじゃないよっ」 って言うんだもん。 「私はAちゃんのお母さん嫌いなんだからね」 おいおい、私怨かよ。とは当時の私は勿論思わなかったが,Aちゃんが 人様にあれこれ言われる子供ではない事は良く知っていた。 頭も性格も良く、運動神経まで良くて、綺麗な家に住んでいた。 一方のK子のところは特別余裕の無さそうな、我が家と似たり寄ったりの お暮らしぶり、まあ普通。私怨って厄介なんだよね。
初めは鷹揚に構えていたらしいA子の母の耳にもこの話が入ったか、似たような 事を言い始めたと言う。K子ちゃんと遊んじゃいけません。 私はこの二人が手を取り合って「私達、親友だよね」と言い合っているのを 一度目撃した。わ〜、なんか大変な事になっちゃってるなあと思いました。
そもそも、何でこんな事になってしまったのか。 当時を知る母連の一人として、娘と同じでどっちつかずのうちの母の証言。 「Aさんはアクセサリーが好きで、いつも大きいのを身に着けていた。 どこか浮世離れした感じのする人でお葬式にピンクの大きなパールの アクセサリーを付けて来た時はさすがにみんなビックリして」 さり気なく人を浮世離れ呼ばわりか。 「でも、気持ちの良い人なんだけど」 発言が日和見な辺りが私もそっくり。 参観日でも確かに誰より目立つ。このお母さん、かなりの美人であった。 それは憶えてる。派手だったんだろうな。綺麗な物は昔から 私は綺麗だとしか 思わなかったので、キラキラしている物が沢山付いているとしか本当に感じ なかったんだけど。家に行っても親切で、美味しいものを沢山食べさせて くれたので悪い印象はないんだよね。K子の親にも別に悪い印象はない。 ただ本当に猛烈に不仲だった。今考えると怖いね なんか。
K子のお母さんとA子のお母さんが具体的に揉めてしまった事があったのか 知らず相手を傷付けてしまったのか、結局判らなかった。 判っているのは中学に進んで間もなく、K子とA子が他人のように行き来を 全くしなくなってしまったと言う事だった。
うちの母はA子の母とは ずっと年賀状のやり取りがあった。素晴らしく達筆な 賀状を何度も見せて貰った。「Aちゃん元気だって」 「ほ〜う」 昔の友人の消息なんてそんなもんで、母同士の方がマメなやり取りをしていた。
2年ほど前、喪中の葉書が届いた。A子の母が亡くなったと言う。 うちの母より若く、ずっと会っては居ないとは言え、驚いて娘のA子ちゃんに 電話をしていた。 「大輪の花が咲いて落ちるような、そんな生き方をした人だった」 何でも花に例える所まで、何ゆえ母子は似てしまうのか。 A子もK子も、きっといずれ互いに会わない部分を見付け離れただろう。 だから本当は、そうなるまで待った方が良かった。 ならなかったらならなかったで、自分とは違う部分を持って来た娘なのだ。 或いは相手が。 どっちにしてもそれなら言うだけ傷付けるだけだろう。 そうは言っても。
この先、私がずっとこの言葉を誰か他人の子に対して言わないとは限らない。 ここでは知った風に偉そうに書いている訳だが、私はひどく感情的な人間だ。 親同士が不仲ではなくとも、相手の子に 自分の子供の不始末の原因を求める 事がないとも言えない。 それやっても、ちっとも良い事はない。ここで自分に戒めておこう。
自分の息子が「遊んじゃ駄目よ」の対象になったらすごく辛い。 ああ、考えただけで涙でそう。 取り敢えず感謝だ。遊んでくれる友達よ。 例え遊びの真の目的がピクミン2だとしても。
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