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私のメールの受信箱にはフォルダが幾つかある。 特定の業者の「広告」やサイトで用意している「一言フォーム」などは 自動的にそちらに振り分けられる。
手動で振り分けているものもある。 その中に、個人名のフォルダが一つある。そのフォルダには550通と言う 沢山の受信メールが眠っている。メールがやり取りされた期間はおよそ 半年、やり取りが全くなかった日は ほとんど一日も無かったと言っていい。
先方はもっぱら携帯メールを使っていた。私は携帯メールを上手く使え ないので、PCのアドレスに打ち込んでもらっていた。 携帯メールでも信じられないほどの長文が打てる事を 私はこのやり取りで 知った。 だが余りに長いと打つのに40分程かかってしまうと言う。
互いの居住地は遠く、結局一度も会った事は無かったが メールは日々の 生活の中、一定のリズムを持ってやり取りが繰り返された。 内容は、もっぱら他愛ない日常の報告であった。 それは交換日記に似ていたと思う。
子供や家の事が中心だった私の生活の中にも、それとは別なリズムが 生まれた。 他人には余り話せない事も、途中からは気楽に話していた ように思う。 何故そこまで相手を信用したかと言えば、相手にとっては 大して得にもならないと思われる行為を 根気強く続けてくれていたと 言う事が、何より嬉しかった事があったからだろう。
実際の私は 寂しがりだがひどく臆病で、8年前に手酷い思いをしてからは 「普通の人」の顔をして毎日を生きているのが精一杯だ。
ここ半年で私は良く笑うようになった。心がほどけて行くのが判った。 言ってみれば「元気?」「お疲れ様」と互いを労うやり取りだけであったが 柔らかい気持ちでいられた半年であったと思う。
そんなやり取りの終わりは突然にやって来た。 それがいつか来る事であるのは、判っていたわけだが 時期の予測は 少なくともこちらからは全く付かず、今となっては そんな物なのだろうと 思うだけだ。
メールやチャットでは、随分と余計な事まで話してしまった。 やがてどこの誰かも判らなくなって行く人に話す内容でも無かった事も あり、向こうも迷惑だったのだろうが、こちらも少し悔やまれる。 やがては先方ではそんな話も「ネタ」などと言われて「聞いた話」の一つと なって行くのだろうか。
ここを見る事も実際は、最早ないだろうと思われる。 それも多少は悲しいが、逆に安心して書いている。
先方は最後まで 誠意を見せてくれたので、それ以上何も望むべくは ないが、受信箱に未読メールがあるのを見付け、それを開いて そこに 迷惑メールでブロックし切れなかった風俗系のメールが入っているのを 見付けた時は、今はまだ 本当に悲しい。
メールだけのやり取りも、会えない時はメールなどと言うやり取りも 自分にはもう当分、出来そうもないと思う。
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