
セキさんがフンドシ出勤したという噂を耳にした。
セキさんはほんとに頭が狂ってると思う。
誹謗中傷でもなく、皮肉でもない。
むしろススキノの秘宝だと思う。
最近「京都らしさ」をかなり意識するようになってきた。
残された9ヶ月という大学生活が直接の要因だと思う。
大学入学前から「京都」にはこだわってきた。
「京都らしさ」という表現は流行的なものを含んでいるから嫌いだ。
こだわるというよりも知らぬ間に「京都」を追い求めていた。
と言いたい。
父と母は学芸員だった。
母は実際に正倉院で働いていたこともあったらしい。
そんな両親の影響をもろ受ける形で、 幼い頃から神社仏閣名刹景勝地によく連れて行ってもらってた。
その時分は、そんな古臭いものがあまり好きでなかった。
毎週日曜日は京都か奈良。
連れて行かれてたというべきかもしれない。
テーマパークや遊園地は数えるほどしか行ってない。
遊園地と言っても、行ったことがあるのは宝塚ファミリーランドのみ。
田舎が伊丹という理由からである。
そんな父と母の影響を潜在的に溜め込んでいたのであろうか?
いつの頃か、そのようなものにとても興味を持つようになっていた。
大学進学の際も、「京都」で学びたいと思った。
こんな将来のことを考えてのことか知らないが、 幼いころの思い出は今でも残ってるし貴重なものだ。
そして大学入学の頃から新しい「京都らしさ」を感じている。
それは言葉では言い表せれないが、ニュアンス的には学生の街としての京都!!
安保闘争やバリケード封鎖、安田講堂といった歴史からはみ出した歴史の部分だ。
こんな話をするとよく、
ツマブキ主演の「sixties nine」の影響受け過ぎ!!と言われる。
心のどこかで悔しい思いがこみ上げてくる。
だけど少なからず影響を受けているのは事実であるし、 強く否定することで何も得られないので笑ってごまかす。
大学生とはしっかりした芯さえ持っていれば何をしてもいいものだと思っていた。
そして今ももちろん持ち続けている。
ゲバラはこんな言葉を残している。
そこにイデオロギーがある限り、 そこにヒトがいる限り。
先述した「sixties nine」で同じような使い回しがされていた。
尊敬と嫌悪感の混じった溜息がもれた。
もちろんゲバラに対してではなく、カンクロウに対してである。
学生が一番学生らしい街、それは京都。
しかし実際のキャンパスは、華やかさと精錬されたお洒落な感じしかしなかった。
存心館からかろうじて名残が感じられるだけだ。
古ければそれっぽいという浅墓なものだけかもしれない。
17歳の時に思い描いていた大学生は微塵も感じられない。
そんな中、セキさんは僕と同じようなものを求めていた人だ。
少なくとも僕はそう思っている。
上っ面ではなく、心の奥底で同じものが流れているのだと思う。
ただ、セキさんと僕の差は大きい。
僕は何も形として外に出してきていない。
どんなに薄っぺらくても、何か形にしないと始まらない。
僕にはそのへんの「学生らしさ」が足りていない。
漠然とだが、それが一番捜し求めているものかもしれない。
今度一人で「拾得」に出かけてみようと思う。
他にも学生のうちに行きたい場所はいっぱいある。
神社だって、一度行ったからそれでお仕舞いではない。
ウォークラリーの立ち寄りPOINTではない。
ましてや、ただ写真を撮るだけの「建築物の確認」などとは・・・
「治外法権」とか「磔磔」も結局足を運んだことはない。
その扉の向こうに求めているものがあるかもしれない。
ないかもしれない。
でもあると思う。
どちらも求めていたものだと、セキさんは言うと思う。
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