
少し前になりますが、7月6日はJR西日本伊勢丹の内定者懇親会でした。
来春から同期となる16名との初対面。
4年制大学卒業予定者が8名と短期大学卒業予定者が9名。
百貨店業界ということである程度は覚悟していたことだが、 圧倒的に女の子が多い・・・
しかも短期大学卒業予定者の9人は全員2歳下。
あまり意識はしないようにしていたのだが。
相変わらず初対面の場では影が薄くなっていく。
まぁ日頃からいてもいなくても同じような感じだが。
自分の殻を作ってしまい、相手に心を開こうとしない。
今日はそんな自分自身の醜い点について少し振り返ってみようと思う。
相手に自分から話しかけるようなことがいつから出来なくなったんだろう。
幼稚園の時から脳裏にしっかりと刻まれており、 誕生日会や夕涼み会などの行事のたびに教室の隅にいた気がする。
小学校入学の時はあまり記憶がないが、 控えめな性格のため6年間ずっとションボリしたままだった。
唯一自分を出せたのが中休みのみんなとのサッカー。
クラスでも一番か二番くらい得点を決めてた。
中学校、高校、大学になるとひどいものだった。
入学式などでみんな勇気を出して、友達を作ろうとしているのにずっと黙り込んだまま。
最初の数ヶ月はサッカーつながりの友達としか話てなかった気がする。
16歳と言えば一番多感な時期。
人間関係などで深刻に悩みだしたのは高校2年生の頃だった。
高校入学当初も相変わらず、一匹狼的な立場しか取れず。
唯一の救いは健太や水戸といった狂った奴らと出会えたことだ。
彼らがクラスのみんなとの接点となり、次第にみんなとも仲良くなった。
クラスに一人、アホなやつがいるかいないかが大きいと切に感じた。
そしてほんとに賢いやつはその切込隊長を買って出るアホさを出すことが出来ると思う。
また、同じ中学校卒業の高槻の悪童2人(良明と藤原)がいなかったらと思うと怖い。
大学ではみんな「賢い自分」を演じてる人ばっかりだった。
僕はもちろん一人ぼっちだった。
登下校はもちろん、授業も一人。
御飯もほとんど一人で食べていた。
※ここで「ほとんど」を使ったのは何人かの友達と昼飯を食べていた時もあったから
友達が欲しくても、いまさら・・・
そんな感じで4年目を迎えた。
友達とあほなことしたかった。
RUCC以外でもつながりが欲しかった。
沖縄の友達や、福井の友達、岩手、京都、静岡、新潟、岡山、東京などなど
サッカーの友達や、音楽の友達、相談相手、暇つぶし、左利き・・
校舎の傍でバカ話してる人たちが羨ましかった。
お昼休みに小松原公園で一人で御飯を食べてる人に親しみを感じた。
こんな素敵な時間を、なんと無駄に過ごしてきたことか。
大学に来た意味の半分は涙とともに排水溝に消えていった。
自分は一人でも大丈夫。
友達なんて弱虫が欲しがるものだ。
僕は強いんだ。
そんな考えが今に受け継がれている。
自分から下手に出るのが嫌だったのかもしれない。
だから、
来春からは生まれ変わろうと思う。
僕はほんとに無能で、弱虫で。
自然体がなになのか自分ではわからなくなってきた。
だけども、自分を曝け出したい。
バカにされてもいい。
友達になってはくれないかもしれない。
話はおもしろくないし、カッコよくも無い。
そりゃ友達になってくれたら一番だけど、 その可能性は50%を下回っていると思う。
でも過去の自分にさよならを言わないと前に進めない。
僕の未来はどっちみち灰色の毎日だ。
それは言い過ぎかもしれないが、期待以上は絶対に望めない。
ではどうしたらいいか。
気が狂ったように、自分を曝け出すのみだ。
周りに求めるのではなく、自分自身に何かを求める。
自己満足で線引きをするのが一番だ。
「友達・・ほしかった。」
2005年7月12日の僕の心はここで止まってしまう。
でももう一つの心は一人歩きを始めている。
「友達一人もできなかったわ笑」
そんな慰めの言葉が死ぬ時に言えたなら、僕はそれを幸せと呼ぶだろう。
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