2005年01月10日(月) |
『海峡〜』を観て疑問に思ったこと |
『女子アナSP』、剛君が体操に参加して笑わせていましたね。 チャップリンを思わせるところがあって、「おおー」と声が出ました。 昨日の日記、後で読み返してビックリ。 文章が下手で、友人が自分のことを「自由奔放な恋の経験者」、 といったように受け取られかねない書き方をしていることに気づきました。 実際はその逆で、「たいした恋もしていない」というのは、いろいろなな恋の経験がないということだったのですが。 あわてて直しましたが、それでもなんだかスッキリしない文章になってしまいました。 あらためて書くことのむつかしさを感じます。 『海峡を渡ったバイオリン』を観たとき、疑問に感じたことがありました。 放映当日、幾分緊張気味でテレビの前にいました。 朝鮮の美しい風景に民族の悲しみを織り込んでいるのも、 哀調をおびたバイオリンの音も心に染みてくるのですが、 心は待望の青年時代の剛君の出番を待ちわびて落ち着きません。
そして、青年時代の陳昌鉉役の剛君登場で、それからはじっくりと観ました。 疑問に思ったのは、子どもが生死をさまよったとき、それまで夫を支えていた妻の不満が爆発します。 激しいけんかの時に昌鉉が、 「日本で育った君には僕の心はわからない」と叫ぶシーンがあるのですが、 この場面では屈折した昌鉉が吐く言葉としては弱くて、 「どうしてストレートにいわないんだろう」と違和感をおぼえました。 この場面はとても大切な場面で、 じっくりと描いた少年時代、十四歳で一人で日本に向かう昌鉉少年、 教師の道、バイオリン職人の弟子の夢が閉ざされた映像が重なる場面です。 ところが年末に原作を読んでその謎がわかりました。 ドラマは設定を変えているところがあって、そこを伏せていたんですね。
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