3:理不尽な世界; 5:訪れるかな平穏; 7:すべてが虚ろになる;
2015年07月16日(木) 痛いから僕である。
痛いのは誰だ。
−0:30
混乱で感情が崩壊しそうだ。 眠剤を飲んだ。眠剤が効いてる時が幸せや安らぎというものにとても近い感覚を抱くことができる。それ以外じゃ落ち着かなくて。
一昨日書いた、
今の生活は昔みたいに強烈なことなんてほとんどなく穏やかに時間が流れていて、それでもなお自分の内側から溢れてくる負のエネルギーにまだ飲み込まれたままだなぁ。
の部分に問題点が集約されていることを認識する。
この穏やかに流れる時間、生活、それに馴染めない自分がいる。優しい旦那氏と超可愛い犬2匹と暮らしてきた約8年の記憶は、全然鮮明じゃない。ぼんやりしていて、自分のことのように思えなくて、まるで別次元で起こっていることのように認識していて、決して僕自身に良くも悪くも影響することのように思えていなくて、意識が一歩確実に遅れて反応するから予想できそうな問題も回避できなくて、でもぶっちゃけどうでもよいとさえ感じて、対処が遅れて。
今もなお鮮明な記憶、今でも自分のこととして感じること、それは例えば、2ヶ月前の美容室で前頭ブロンドにするからとブリーチしたら頭が焼けそうな程痛かったことや、2年くらい?前で言えば煙草の火を手の甲に押し付けた時の激烈な熱さや、腕の肉を切り開いていく時の痛み、それらを感じている時は紛れもないこの僕だった。もっと遡るが、幼少期の鞭の痛み、グチャグチャな雪が靴の中に入ってきて痛いほど冷たいこと、叩かれる時の恐怖、ここにいたら死んでしまうというあの危機感、最後には絶望感、締めくくりに縊頸自殺企図(しているところを旦那が発見した)。
そんな痛みが伴うことなら、自分のことだと違和感なく認知できる。心と躰がバラバラになったりはしない。苦しいこと、つらいこと、切ないことを感じてきた自分は、本物の自分だ。僕らしい僕だ。
今は? 優しい旦那氏、頼ってくるワンコら。穏やか。波風ほとんど立たず。苦しくなく、痛くなく、つらくなく。 僕は何故優しくされる?僕は優しさがなんなのかわからない。だから優しさを返せはしないよ。優しくされると困るよ。どんな顔をすればいいのかもわからない。自分のことだと認知できないから、そんななかでありがとうと素直にいうことも不可能。
記憶はかなり昔のままに、意識と躰は暴力や痛みには正確に反応するのに、自分だって望んでいたであろう安らげる場所、そこにいる8年間、自分だけ蚊帳の外感が否めない。 ちゃんと大切にしてあげたい。大切にしてあげなければと、理屈や知識でわかっていても感情がわかない。 大切なものを大切なんだと認識できないことが悩ましい。
今日の睡眠時間6時間。
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