世の中で起こっているといわれることや、過去に起こったといわれることについて、見たり聞いたり読んだりすることが、こんなに快感を覚えることだったとは、知らなかった。(怒り、不可解、理不尽といった思いを伴っても、ここでは快感と言わせて頂く)自分自身のスケールの中で、自分のことを見なくてすむようになるからだろうか。私の知らない現実(少なくともそう言っている人がいる、という現実)が増えるたびに、私は世界の中で小さく小さくなっていく。私は遥か遠くに、私のちっぽけな現実を見ることができる。それは私に、大きな安心をもたらすのだなあ。