綿霧岩
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2010年06月16日(水) 頭の編み物

編み物をしたのは、
小学生のとき手芸クラブでマフラーを編んだ以来やったこともなく、
セーターを編んだことなど無いわけだが、
小説を読むっていうのは、
読み手は、
読みながら同時進行で頭の中にセーターを編んでいくようなもんだと思ったのだ。
(セーターじゃなくてもいいんだけどさ)

どんどん読める小説っていうのは、
頭の中に編んでいくその編み目がそろっている。
途中で一息ついたときなんかに、
編み上がったその編み目をそっと撫でれば、
目のそろい具合が気持ちよい。
読むことも編むことも根を詰める作業であるがそれは心地良い疲れとして満足感がある。

読みにくい小説っていうのは、
頭の中に編んだ編み目がそろっていない。
こっちはそんな風に編みたかないのに、
完成図と違う目を頭の中に編まされる感じがあって、
それが読みにくいってことな気がする。
だからなんか気持ちよくない。

そうなんだけど、
全部読み終わったあと、
編み上がったセーターを見てみたらば、
しんどかったそこのところは、
ダイナミックな模様編みに仕上がっていた、
ということもある気がして、
それって読後の感想は面白かったってことで、
頭の中のセーターもすごいもんができたってことになる。

だったらそれはいいけれども、
しんどいところをわけもわからず付き合えるか、
ついていけるかどうかが問題で、
それはなんでしょう、
もう人間と同じで出会いのタイミングとか相性、
かしらん。


カタギリミワコ |MAIL