2005年02月14日(月) |
どうしようもないこと |
明日は、友人のKの命日。
Kの父親は、Kが心臓発作で死んだと言っていた。 でもおれは未だに信じ切れないでいる。
Kの葬儀は密葬だった。ひっそり、本当にひっそりとした葬儀だった。
棺に入ったKの死に顔を見せてもらったけれど、いい顔だったのかどうかはわからない。たくさんの人の死に顔を見た人には、それがわかるらしい。
正直、親友が鼻やら口やらに綿をつっこんで寝ている姿は、冗談にしか見えなかった。現実感が乏しかった。
本当は、自殺だったんじゃないかと、今でも時々思う。
はっきりとした根拠はないけれど、思い当たるふしはたくさんある。
Kは、その頃、大学の論文でかなり苦労をしていた。 Kは何年も浪人していたので、これ以上の浪人はできないとかなりあせっていた様子だったし、「うつ病」を数年前からわずらっていた。
うつの人にありがちなように、Kもまた、薬を集めるのが趣味だった。 集めた中に、毒物があるのを、おれは知っていた。
そして、葬儀が密葬だったこと。 なんとなく、Kの父親はあせっているように見えた。 あるいは、勘繰りすぎかもしれないけれど、自殺だとまずい理由があるのかもしれなかった。
今となっては、調べようもないし、父親にあえて聞くこともできない。
でもそれよりも、一年前のこの日にかかってきた、Kからの電話の方が、おれにとっては重要だ。
おれはエゴイストだから、その方が重要だ。
おれが取れなかった電話。 すぐにかけなおさなかった電話。
おれが違った対応をしていたら、Kの死はなかったんじゃないか?
自殺でも、心臓発作でも、どちらにせよ、そんな運命はなかったんじゃないか?
おれは口では友達だと言うくせに、いざってときは心配もせず電話もかけない、他人を利用しているだけの人間じゃないのか。
今もKのことを考えているのは、きっと、Kのことを悲しんでいるんじゃなくて、「お前のせいじゃない」って納得したいだけじゃないのか。
結局どれだけ考えたとしても、誰もうんともすんとも言ってくれないから、忘れようとしているだけなんだ。
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