銀河鉄道を待ちながら
鬱と付き合いながらの日々を徒然に

2005年02月15日(火) 一周忌

午前中に、一本の電話が入った。
仕事で関わりのあった人が亡くなったという知らせだった。

福祉関係の仕事をするようになってから、訃報に接する機会が多くなったような気がする。
たぶん、福祉が高齢者や病気の人と密接な関係があるからだろう。

その人はまだ50代だったから、意外な感じがした。
まったく、あっけないもんだと思った。

おれは親族の葬式にも出たことがないので、訃報というものに対して免疫がなく、仕事を始めた当初、ずいぶんと苦労した。
「ご愁傷さまです」
と自然に言えるようになったのは、つい最近のことだ。


今日はKの一周忌だけど、特別何もしなかった。

今おれが住んでいるところは、Kの家がある(おれの実家もある)土地とかなり離れているから、ふらっと墓参りというわけにはいかない。

まあ、あらためてKをしのぶなんてことは、おれにとっては、する必要もないか、と自分で納得する。

日曜日にKの実家で一周忌が催され、おれも招かれたが、体調が悪いということで丁重に断りを入れた。

正直、Kの父親に対して、おれは不信感を抱いているので、会いたくないという気持ちがあった。

それに、Kの父親に招かれたKの友人Y(そいつはおれの友人でもある)にも、会いづらい気持ちがあった。

Kの父親は、「Kの生前のことをよく知る友人」と思って、Yとよく会って話をしている。Yもまたそのように振舞っている。
Kの父親は、世の親がたいていそうであるように、生前のわが子が普段どんなことを考え、どんなことをしていたか知らなかったので、その死後、急にそれが知りたくなったらしい。

おれは、KがYのことをどういうふうに見ていたか、言っていたかをよく知っているので、何だかKの父親とYとの関係があほらしく見えてしまう。


それにしても、その二人は、一周忌に来なかったおれをどう思っただろうか?









 < 過去  INDEX  未来 >


士郎 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加