1人と1匹の日常
2004年12月22日(水)  あの頃の話をしよう(3)
介助犬の右も左も何も知らない、そんな単純な不純な動機で、介助犬という存在に、生まれて初めて関心を抱いたわたしだったが・・・。
それから、病院を退院してから、半年間。
介助犬のことも忘れてしまうくらい、病気の進行は早かった。

毎日、病院通い。
脊髄炎にしては、病状がおかしい。
リハビリがよいと聞いては、そこに行き。
首を傾げられる。
とんでもない病気だと、何となくわかっていた。
「病名がわからない。」「脊髄炎だろう。」
「けれど、病気の進行がおかしいのです・・・。」

それでも、治りたかった。
もう一度、二本の足で歩けるようになりたかった。
けれど、そんな気持ちとは裏腹に、だんだんと歩けなくなっていった。
そして、松葉杖も握れなくなり、その時から、二度と歩けなくなった。

わたしも両親も、それまでは、「治ること」にしがみついていた。
もっと早く神経内科の専門医の扉を叩けば、病名だって早くわかっただろうし、治療もできたのかもしれない。
しかし、それまで、リハビリをして、治ることばかり考えては、なかなか良くならないばかりか、悪くなる一方の身体に、自暴自棄になっていった。

「現実を見なければ」、と思った時には、わたしに残されたのは、今まで治ることばかりに費やした、意味もない時間だけが、重く後悔として、残っているのだった・・・。
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