#今日は既に6/29(水)日付変更 真夜中#
追いついて追い越された時間。 やっと未来日記から帰還??
今日は心療内科受診日だった。 今 わたしの受診は月イチ。 これは わたし自身が望んでそうしてもらっていること。 薬の量に関しても だけど。
「今 薬のお陰で落ち着いています。 でもお薬を減らされる方向で いくまでには自信がないし この量は必要なのでお願いします。 受診日も月イチで何とか大丈夫ですから」
落ち着いた声で静かにこう言えば その希望は通してもらえる。
先生は いつも「何かあれば受診日前でもいつでもいいんですからね」 そういって下さる。
「はい。 ありがとうございます」
わたしも そう答える。
正直。 でも ”何か” あっても 例えば外側への暴走方向に 自分がいかない限りは内側へ向かう限りは わたしは 病院へSOSをこれ以上は求めないだろう。
結局。 わたしというニンゲンは基本的に他人に甘えるとか助けを求めるのが 極端に苦手なんだと思う。 そのわたしがこうして心療内科にとにかくも通い薬を貰える事に なった。これ自体が わたしが自分にできる精一杯の限界。
月イチの受診も だから 3分で終わる。 一応のことは初めに話したし それから それ以上を話しても 結局 どうなるとは思えない。 身勝手な極端な言い方をすれば薬が貰えればいい。
お医者さんはとても穏やかな良い方で話せば聞いてくださる方だけれど 所詮は当たり前だけど医者と患者。 カウンセラーもまた受けたいと思わないのは それくらいなら 今までの自分を知る 友達と話した方がよほど自分にとって楽だから。
多分 わたしは極端な人見知り。 だから 本当の意味でココロを開かないと自分の本当の内側を 見せたくない。
屈折率 高いんだと 思う。
例えばこの世の中 苦労しているヒトは悲しいけど いるし それを紆余曲折 乗り越えて 頑張ってる方々も沢山居る。 それは 本でもメディアでも 溢れるほどに流れている。
時々 というか よく それに対して ”感動して生きる力を貰った”とか ”自分なんかまだまだだと恥ずかしくなった”とか そういう 影響を受けて人生が変わりました 的な方々の声を聞く。
わたしは それは立派だな、偉いな、凄いことだな とは思う。 ただ 申し訳ないけど それで影響を受けるとか自分が云々とかは 思わないし 思えない。 多分 醒めた目で見ている。
ある意味 それで 自分を省みたり影響を受けて 感動できるヒトに対しては きっと真っ直ぐな生き方の出来る 本当に素直なヒトなんだなぁ って羨ましい。 わたしには絶対無理な思考だから。
これを書くことは実はかなりの勇気がいる。 何しろ元々小心者ゆえ。
ただ 書いてしまうと わたしにとって他人はあくまで他人なんだ。 この場合の他人は自分以外の全てという意味で。 それは冷たいようだけど 事実 どれだけ思い入れようと それが我が子であっても そのニンゲンそのものにはなれない。 ジブンをどうにかできるのは所詮ジブンでしかない。 それだけはどうしようもないという厳しい現実の認識が 常に胸の中に ある。
比べるものでないにしろ自分より明らかに苦労されていて それでもそれに負けずに(内面の葛藤はもちろんそれぞれに お持ちだろうと拝察するけれど)頑張って生きてらっしゃる 立派(に見える)方々のお話なり言葉なりを聞いても それはご立派なことですね と思えても それまで なんだ。
むしろ何てヒネクレモノだ という非難の声を聞くのを覚悟で言えば あまり 見ていたく ない くらいで。 だから それを見て泣けたり感動したり影響を受けれる方々を 羨ましいなぁ と思う。モノスゴク。 それができたら もっと楽だと思うから ジブンが。
宗教にしてもしかり。 どんな宗教にしても それで救われるとはどうしても思えない。 正しいことなんだろう。例えば中にはあるだろう悪徳宗教のような ものにしても 極端に言えば信じて救われるものなら それは その人にとって 誰がなんといっても良い宗教になるんだと思う。
でも そういうことが わたしには一切ない。
いつから失くしたのか 初めから持っていなかったからこうなったのか それはわからないけど。 良くも悪くも わたしはこういう屈折率の高いニンゲンだ。
わたしがシンクロするのは むしろジブンと同じように 常に揺れて悩んで苦しんで回り道を自分の足でしているひとたちだ。 不器用で意地っ張りで 誰よりもジブンの納得がいかないと 先へ進めない。自らの手で破壊してからでないと踏み出せない。 キレイな生き方のできない不器用ゴジラな人々。
キレイな生き様には憧れる。 真実(ほんとう)にヤサシいヒトになれたらって思う。 実際 苦労やドロドロしたものはどんなヒトの中にもあるだろうけれど それを昇華してちゃんと生きてらっしゃる方々は居て それは 素晴らしいことだと本当にそう思う。
ただ わたしの中ではそれを見せられてもジブンに影響を与えない。 感銘も感動も ない。 別の形。 ジブンとは違う できない形だと そう静かに思うだけだ。
(言葉足りずで これを読まれて不愉快になられた方がいたら ごめんなさい。 偉そうに意味があって否定とか そんなつもりは一切ないのです。 所詮言ってみれば小心者のオチコボレの か細い遠吠えみたいな ものですので どうぞお聞き流しいただいてご容赦をお願いいたします)
屈折率 高いです。 こういうヤツなんですよ。 ワタシ。
今日もヤサシいものに憧れながら でも 一足歩くごとに 花やら建物やらを でっかい足で踏み潰してる 不器用ゴジラ。 そのくせ 変な意地と矜持(きょうじ)が身体に刻まれてるから 厄介。
こういうヤツなんですよ。 ワタシ。
生きててゴメンナサイ状態でも 生きることに しがみついてる。
こういうヤツなんですよ。 ワタシ。
失望されても でも ゴメン。 わたしはやっぱり ワタシ。
だから あーダメだって思ったら捨ててってください。 覚悟済みなんで。(いや こそっとイジイジしばらく落ち込んでるとは 思いますが←この辺 実に いじましいっすね(苦笑))
こういうヤツでしかいられないんです。 こういう生き方 選んじまったんです。
あたし。
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ゆうなぎ
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