| 2005年08月06日(土) | 
ココロノ フカイ 闇 | 
  
それを傷と呼べばいいのか痛みといえばいいのか憎しみと呼べばいいのか いや そんな単純な言葉では言いあらわせない。
  誰かの言葉で揺るぐものでも溶かせるものでもない。 ココロの奥に凍りついた闇の塊。 理屈やもっともらしい台詞くらいで消せるものなら どんなに楽なことだろう。
  闇を抱える人間には同じように闇を抱えている人間が 不思議とわかる。 同じ哀しみの匂いがする。
  それと同時に知っている。 現実の闇はドラマやモノガタリの中のように簡単に 感動的に消えたりしないことを。
  苦労と闇は また ちょっと違う気がする。 いくら辛い思いや苦労をしてもココロに闇を巣食わせることなく 生きていけるヒト達は確かにいるのだから。
  ココロに消えない闇など巣食わせないで済めば その方がいいに決まってる。 苦労や傷を受けてもそれを光に変えれることができるなら その方がずっと正しく健全だろうことは百も承知だ。
  でも それがどうしてもできなかった出来事があって ニンゲンがいたと ただ そういうこと。
  だから闇を抱えた人間同士が出会って闇の部分に気づいても 安易にそこには触れない。そこはそうっと触れたつもりでも簡単にまた 裂けてしまうほど敏感に神経が剥き出しになっていることを知っているから。 触れる時は細心の注意を払う。 多分そうしてすら触れられた方は身をすくめる。
  ココロに闇を持たないヒト達は なんの躊躇もなくその闇に触れようとする。 闇を闇とも気づかないで 善意と笑顔と優しさで 触れてくる。 それが闇を持つものには何よりの苦痛であることも知らずに 残酷な無邪気さで。
  それを責められようか? 否。それは それで いい。 仕方のないこと。
  闇を払う太陽が必要なように。
 
  闇など巣食わせぬ方がいいに決まってる。 それでも一度巣食った闇は侵食して一部になる。 後は闇と共存しながら抱えて生きるしかない。
 
  明るい世界を生きるヒトを遠い目でみるけれど それはもう別の世界。
  それで いい。
 
  でも せめてお願い 太陽が光の世界を照らすものなら
  月はどうかそっとあるべき夜の闇の許へ返して。 月を失ったら闇の中 一歩も進めなくなるから  わたしたち 明るい光の下では消えてしまうのです。
 
  それだけは わかってください。
  光の道を歩くヒト達・・・
  どうか
  どうか。
 
 
 
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                                 ゆうなぎ 
 
 
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