学校に行き、先生方と今後のことについてお話してきた。 結果的にいえば とても意味のある話し合いになったと思うし 何よりも わたし達の声にしっかりと耳を傾けて ゆっくりと先を見ながら一緒に考えていきましょうという姿勢で いてくださるのが有り難かった。
先生方の血の通った対応、お心遣いに改めて心から感謝している。
行事参加よりもむしろ個人的に何度も学校に通うのは 今のわたしにとって その度、必死の気力を要した。
ある時は(ワープロ打ちのだけども)手紙を書き、 ある時はつっかえつっかえしながらも 現状をわかっていただく為に懸命に話し。
先生方と電話連絡は ほぼ毎日するようにして 大抵の先生にはもう声だけでわたしと名前がわかるほどになってる。 子供と共に付き添って 時には朝に 時には昼に 時には夕方にと 保健室登校も続けた。
それでも今現在末っ子はまだトンネル迷路 出そうかと思えば また入りでジグザク走行中なのだけど。
わたしは不器用な人間だし母親なので 回り道や迷い道の方が多い。 逃げ腰だったりヘタリたりは日常茶飯事だし(自慢にもならないけど) その代わり 蹲らないと転ばないと気づかないままだったことや 痛みの意味がお陰でわかったことも事実。
ご苦労もどんなにか かけていると思う(現在進行形で) それでも先生は「お母さん良く頑張りましたね」といって下さった。 これは何よりも救いになる言葉だった。嬉しかった。
わたしは人と直に接するのも話すのも(ごく一部のひと達を除いては) 基本的に苦手 というよりも できるならしたくない。 元々もそれほど社交的だったわけではないけど 色々あり 心身を病んでからは一層酷く 対人恐怖とプレッシャーを感じるようになった。
子供達の手が離れたら 交わりたいひととだけ交流して 後は ひっそりと静かに干渉されず生きていきたい。 それが望み。
でもまだそうはいかないから だから わたしはあっぷあっぷ溺れながらも 犬掻きでとにかく泳ぐ。
実は よりによってこの日 長男の具合が悪くなって 学校へ行く前に・・とかかりつけ病院へ連れて行ったが 病院から帰っても調子が思わしくなくて 一時は入院か?と肝を冷やした。
病院に電話して再度指示を仰ぎ、長男も何とか落ち着いたので 迷ったが予定通りに学校へ話し合いに出かけたという経緯。
泣きそう通り越してパニックになりそうだった。 何で次から次にこんなに色々あるんだろ とか もう。
でもそこの所が 強みでも損な部分でもあるんだろう。 周りが弱ったり、何かが起こった時 わたしはわたしがしっかりしなきゃ と思ってしまう。 倒れたら終わりだ と思うと馬鹿気力が発揮される。 ほとんど強力自己催眠のセカイ。 限界値の針 振り切れてもそこまでいかなきゃと思えば 行ってしまう。
そこでふっと儚げにかよわく気を失ってしまえれば いや それほどじゃなくても そこまでやらなくてもいいのにって 自分のことながら なんかセツナクなること多々ある。
世の中には儚げに気を失ってもちゃんと抱きとめて貰えて 後は任せとけ!っていってもらえるオヒメサマもちゃんといるのに。 そりゃできることなら そっち側がよかったと思うよ。
でなけりゃ ほんとに凛として強ければまだいい。 けど中身はヘタレ満載なのに なんでだ って。 結論 性分なんだろうな。だから仕方ない。
案の定 学校から帰ってからはグッタリ。 ただ 長男の看病があったので気が抜けず 自分も薬飲み飲み。
土曜日には長男落ち着き それ見届けたら完全ダウン。
長男曰く 寝ながら「うーん、うーん」と唸っていて かなり心配したらしい。
それでも根が丈夫なお陰だと思う。 まだ頭痛や関節痛などあるものの こうしてPCに向かえているんだもの。
いつの間にかベランダからみる景色も春めいてきている。 桜の蕾もまだもう少しほころぶにはかかりそうだけど 3月もいつのまにかサヨナラの荷造りモヨウ。
巡っていく季節 でも二度と来ない時間(とき)
花粉症で赤くなった目を擦りながら
それでも桜を待ってる。
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ゆうなぎ
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