2009年01月11日(日) |
Wandering person |
相変わらず低空飛行は続いてて。 そんな時はいつもそうなように何をする気にもならない。 しなければいけないことも理由をつけては後回し。
年明けはじめのクリニックで先生に今の状態を話した。 やっぱり少しばかり無理をしすぎたかなぁと 今更ながらハンセイ。
無理が必要な時もあるし、 それで落ちるのもある程度は仕方ないと思う。 どの程度までが頑張るべき所で どこからが無理になるのかの線引きをするのは難しい。 これも薬と同じで試してみないとわからない。
とりあえず今の薬を最大限まで増量して様子をみることになった。 今のクリニックの先生が良いのは、現在の状態をきちんと聞いて 一定期間を目安にしながら薬の調整を細やかにしてくれるという所。 合わなかったり、効果がでないのに無駄に飲ませ続けたりはしない。 余分な薬はできるだけ、除けていくという考えなのは有難い。
病気と名の付くものと共に歩き出してから 随分と経ってしまった。
欝との付き合いも長いし 糖尿病に至っては”完治はない”とハッキリと記載されていたりして それはわたしを打ちのめすに充分なものだった。
欝の状態が良くない時などは特にこの身体の病気のことが 重く心に圧し掛かる。
糖尿病というのは自己管理の必要な病気だ。 規則正しい三度三度の決められたカロリーの食事。 薬は常に食事と一体で、どちらが欠けてもいけない。
対して欝病は”できなくなる”病だ。 どうにもこうにも身体が動かなくて 今までできていたことすらできなくなっていく。
やること が必要な身体に やることができない 心 状態が悪くなった時の症状も似ているから (ふらふら感、頭痛、吐き気、どうしよもないダルさ、など) どちらからの状態の悪化なのかを見極めるのが 自分でも難しくて それが余計に不安感を増す。
それでも
ぐるぐると回りヨロケながらも やっぱり わたしは それでも と 思うんだ。
習性なんだろうなぁ。 結局、行き着くところは。
ゆらりゆらり 明日はわからないけど
ゆらりゆらり と今日も
今日を探しながら さすらっている。
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ゆうなぎ
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