++いつか海へ還るまで++

雨が降る 代わりに泣いて いるように

降り続く雨 降り止まぬ雨


2009年03月19日(木) 歯車はギシギシ音をたてながら

必死で回しているつもりの歯車は
ギシギシと軋んで重く今にも止まりそうだ。



学校も先生も其処に在るものは”ニンゲン”だから
それゆえの難しさや矛盾を常に抱えながら
でも現場は現場なりに一生懸命なのだということ。
それは多分、むしろ他よりも少なからず理解しているつもりでいる。

だから尚更、タテマエの間から透けてみえてしまうモノや
わたしたちなりに今まで話してきたこと、伝えようとしてきたことが
見当違いにズレてしか把握されていない現状を思い知らされた時
失望もまた、深い。

今は時代そのものが、ゆとりというタテマエを掲げながら
その実、回り道やゆっくりと立ち止まって考えるということを
許してくれない。

収まりをつけなければいけない事情はわかる。
でもむりやり急いで強引に形にはめることに拘ったとしても
その歪みは結局、先で出てきてしまうのではないか。

放置や放任と見守ることは違うと思う。
強引に納得させないまま、形だけ整えようとしても
結果、もっと遠回りになるということを
わたしは身をもって学んだ。

良い教師であろうとすればしただけ
個人や家庭生活は犠牲になる。
これは例えば何をしてもいえることだろう。
ニンゲンはそんなに器用にできてはいない。
そして、実際にその実例を目の前で見ているから尚更
それを求める酷さを考えてしまう。


無条件に責めれたらもっとラクなのかもしれないとも思う。
何かの、誰かの、せいにしてしまえたら
考えることを
このロクに回りもしない頭で考えることなど
放棄してしまえたら・・・

ニンゲンは怖い。
ニンゲンは嫌い。

ニンゲンに絶望しながら
でも そんなわたし自身が
ニンゲンだから。



実家の親からの電話で

昔の
もう十数年会っていない学生時代の友人から電話があったらしい。
その頃の恩師と友人が街でバッタリたまたま出会って
わたしの話題がでたらしく。
音信不通になっているけれどもどうしているだろうかと。

二人とも亡夫もわたしのことも知っていて
結婚式にも出席してもらっていたから。
夫が数年前に亡くなったことを告げると驚いていたそうで。
自分の連絡先を伝えてよければ連絡を・・と言付けがあったとのこと。

覚えていてくれたことは有難いと思う。
でも わたしは連絡をしないだろう。
親にも、もしもまた電話があったら
申し訳ないけど色々あって人と会える状態にないので
と伝言してもらうように頼んでおいた。

昔の知人友人と接触すれば 夫の死の前後の事情にも
触れないといけなくなる。

今の暮らしの中で振り絞るように
歯車を動かしているわたしの精神は
その負荷に耐えられそうにない。

だから・・・ごめんなさい。



悲しむことも
憎むことさえ
力がいるのだな と
最近つくづく思う。

疲れきってしまうと
それすら億劫になる。



今は歯車を止めないことだけで精一杯。

沢山のモノを振り捨ててでも

この命の歯車を回し続ける。


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                             ゆうなぎ


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