ヒロの夢日記

2012年03月14日(水) 親父の毒言

毒言シリーズ第2弾
今度は今は亡き親父の毒言集です。
死人の悪口みたいですが、まぁいいよね。


「そんなに武器いっぱい付いてたら危ないよ・・・」

おいらが幼稚園の頃でした。
子供って自分が描いた絵や作った工作品を親に見せびらかして、
褒めてもらいたがるじゃないですが。
ある日、ダイヤブロックで宇宙戦艦を作って、親父の帰りを心待ちにしていました。
帰って来た親父に工作を見せびらかしながら、

「んとね、こことここからミサイルが出るの。で、ここからビームが出るんだよ!」

と説明していたら、返って来た言葉です。
親父に褒めてもらえると信じきっていたおいらはハンマーで後頭部を殴られたようになりました。
親父はゴリゴリの左翼で、労働組合の組合長を務めたり、社会党の候補者を後援したり、
まだ幼稚園のおいらを成田抗争のデモ隊が捕まる所の見学に連れて行ったり、
ちょっと左巻き過ぎるきらいがありました。
きっと憲法9条信者だったのでしょう。


「病院に連れて行けっ!」

小学生の時、おいらが風呂に入っていると後から親父も入ってきました。
おいらの胸がロウト胸で少し凹んでいるのを見て、風呂を出るや否や母に発した言葉です。
母は「そんな事言われても困るわよ、病院に連れて行ってどうするのよ!手術でもするの?」
とこれまたおいらを傷付ける言葉を発しました。
2人ともおいらへの気遣いとか全く持ち合わせていませんでしたね。


「どうせ先生に褒められたくて走っていたんだろう」

小学生の高学年の頃、おいらは何故か急にジョギングに目覚め、
小雨の日も風の日も、休み時間という休み時間は全てジョギングに費やしていました。
まるでフォレスト・ガンプのようでした。
で、校庭を3周走るとシールを1枚貼れるポスターが教室の後ろに張り出してあって、
おいらの所だけ異常に飛び抜けていたんです。
その事を中学生になって親父に話したら、返ってきた言葉がこれです。
親父には「人の努力や才能を認める」と言う機能が欠如していたようです。


「息子がいい年をしてお人形さん作ってるなんて、恥ずかしくて会社の同僚に言えないよ!」

22歳からアートドールを作っては、個展を開いたり、
知人の店に委託販売させてもらっていたのですが
それだけでは生計が成り立たず、フリーター生活を送っていたおいらに発した親父の言葉です。
これ、満面の笑みを浮かべながら言われました。
完全にバカにされています。上から目線、卑下、侮辱。
親父と言う人は、自分の事は自慢ばかりして、
人のやる事は1から10までケチをつける人でした。
70歳で胃がんで死んだのだけれど、消えてくれて頭の上の漬物石が取れたように感じます。

これらのことを反面教師にして、自分の息子には容姿をけなしたり、
趣味をバカにしたりは決してしないようにしています。
でないとおいらの様な歪んだ性格になってしまうから。
息子は昔から手先が器用で、工作が上手でした。
その流れで将来は美術系の大学に進みたいそうです。
おいらとしては、全力で応援してやりたいですね。
卒業後、道に迷うような事があったら、助けてやりたいとも思います。
普通、親ってそう言うものですよね?


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