うさぎのつぶやき
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この「うさぎの独り言」にお越し下さった皆さんのパソコン を始めるようになったきっかけは、何でしょうか? 私たちの年代だと大方の人が仕事で必要に迫られて、とか 毎日の生活に活かしたくてというのが、殆どだと思いますが 私の場合はちょっと違うかな?・・・。 今日は、その事も含めて、書いてみようと思います。
私は九州の宮崎県宮崎市で育ちました。 小学校も街中にありましたが、いわゆる新設校で学校の 取り組みも、先生たちの意気込みも、とても熱心で当然、 父兄にもそれは反映され、本当の意味でのPTA(Parent Teacher Association) が、ガッチリとスクラムを組んでいたそうです。 (これは、当時子供だった私にはそんな事分かりませんでした から、後々先生や両親から聞いたところによるものです)
そんな中で厳しく、でものびのびと教えを頂いた事はいうまで もありません。時代もよかったのよねぇ〜と、あの頃を振り 返っていつも先生はおっしゃいます。 其の先生とは、小学1年、2年と担任を受け持って下さった 女性のT先生です。
学校から、歩いて20分位の所に住まいを構えていらっしゃい ましたが、ある時“お庭に、たくさんの「とうもろこし」が 出来ましたから、今日は先生のおうちに皆さんで採りに行きま しょう。” そういって、放課後、連れて行ってくださいました。 街中育ちの子供たちです。そういう経験はした事がなかった ので、とても嬉しくて、楽しくて、未だに忘れられない思い出 となっています。
又ある時は理科のテストで、りんごの種を蒔く時期について 問題が出ました。「春蒔き」か「秋蒔き」を答えるのですが、 私は、間違って答えてしまいました。ペケをもらった私は、 家に帰って、母に言いました。 “お母さん、前に植えた家のりんごの種は芽が出て元気に 育っているよね。大きくなってるよね。” “植えた時を書いたのに、ペケなんよなんで?”って。
暫くして、母は学校に行き先生に間違いの訳を話したのです。 すると、“そうでしたかぁ。じゃぁ、○にしましょうね。 でもねみどりさん、テストというのは、普段の勉強で皆さんが どれだけ、先生の教えを覚えたのかを知るため、なんですよ。 これからは先生の言う事をしっかり聞いていて下さいね。” そうおっしゃって、○に変えてくださいました。 その場その場に応じていつも対応して下さった先生の教えは 40数年たった今でもしっかりと心の中に根付いています。
7〜8年前になるでしょうか、同窓会を開いたのですが30人 近く集まった旧友も口々に同じような体験を言っていたのが 印象的でした。
其のT先生、今もお元気で昔からのお宅に一人でお暮らし です。 足が少し不自由になられましたが93歳になられた今でも “動かないとね!”そうおっしゃって、昔とうもろこしを 作られたお庭に出て草花の手入れに余念が、ありません。
私も近くにいればお伺いも出来るのですが、そういう訳にも 行かず、もっぱら母が代わりに遊びに行ってくれているよう です。
昨年の夏でしたか、帰宮した際お伺いした時に“先生は 毎日何をしておいでですか?”って、聞きましたところ “普段は庭に出て草むしりをしてるけど夜はテレビを見たり 新聞を読んだり・・・かな” “でも、日曜日は息子の所に行くから、そこでパソコンを ちょっと、やらせてもらっているのよ”っておっしゃった んですね。 93歳ですよ、93!。 驚いた私は、“え〜っ!”て、叫んでしまいました。
“でもねえ、なかなか覚えられなくって・・・。お嫁さんが 横でにやにや笑っているのよ。どうしてもだめになると、 おかあさん、ここ!って、教えてくれるの。ホント難しい よねえ”とも。
その時私は、少しショックを受けたのです。
世の中が急速に進み、もう私達の年代には付いて行けない ところまで、行っちゃったような気がしていたものですから コンピューターなんて、無理無理!!って、頭から決め付け ていたのですね。
この年になって、又先生に教えられてしまいました。
要はやる気なんです。あのお年で、一人暮らしをされていて、 足も不自由なのに、庭に出て手入れをされ、其の上パソコン ですって!。 負けちゃあいられませんよね。先生に比べればまだまだ若い 若い私です。 何かをするという目的があったわけではないのですが、 IT社会という時代に挑戦しなきゃあ、って考えたのです。
今年に入りパソコンを買い、解らないながらも、なんとか キーボードにも慣れ、ようやく、こうやってホームページを 作るところまでこぎ着けました。
先生に報告がてら日曜日にメールでも送ろうかと、思って いるこの頃なのです。
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