| 2006年06月01日(木) |
天の鎖 澤田 ふじ子 |
小説・日本庶民通史/平安篇
血のつながりがないのに『牛』と呼ばれた三代の『牛』の物語
だが 『牛』が主人公と思わせる裏で、陰の主人公は『空海』だろうか
今まで 何冊かの奈良時代から平安時代の頃の物語を読んだが、政治をつかさどる周辺にいた人々の物語ばかりだった 今回の物語は 歴史の事実を織り込みながらも我々と同じ、国の出来事にいやが応でも従わざるをえない庶民の小説で興味深く読んだ
作者はあとがきで 輪廻転生の思いを託し、幕末に生きた『牛』までをどう書くか、社会の状況をうかがいながら考えている、と記しているので私は一日千秋の思いで楽しみにしている
延暦少年記・応天門炎上・けものみち
延暦年間、平安遷都で喧しい世相の中、山背国の少年"牛"は貧しい暮らしの中で、若き空海やその師"行叡"と出会い、仏師となる決意を固める。だがそれは同時に世の荒波にもまれてゆくことでもあった。 親の言うとおりの新京造都の工匠より仏師になりたい牛はある日出奔してしまう。
東国から約六十年ぶりに京へ戻った"牛"は、そこで豊安という少年に会い、彼を弟子として東寺で仏像を刻むこととなる。そんな中、東寺の奴が良民の娘とわりない仲となり、狭隘な人々が彼らを追いつめたりとするなかで、応天門炎上という歴史の事実のなかに牛たち、庶民も組み込まれていく。 幼い頃から"牛"と呼ばれていた赤麻呂〈東寺奴の子〉は十歳の時、奴として東寺に引き取られた。そこでは不思議な効験力をもつ唯空のもと、夜叉神堂に仕え、同時に逃亡を図った僧侶を始末する闇の仕事を担うが、やがて真の特命(空海入寂後の高野山と東寺の三十帖策子のゆくえ)が与えられ、己の生の意味を知ることとなる。
鎖は金属製の輪、一つひとつが頑丈につなぎ合わされ、ひも状にできている。 物と物とをつなぎ、暗い時代には残酷にも人間すらつないできた。 人間の歴史はこの連鎖に似ており、いまの存在をさかのぼれば、あらゆるものが昔の輪につづいているはずである。〈作者 あとがき〉
|