読書記録

2006年06月09日(金) 壇林皇后私譜        杉本 苑子



平安初期 第52代嵯峨天皇の皇后、橘嘉智子(壇林皇后)が官寺として創建した壇林寺 という尼寺がある

 生きてきた人生は、一見単色に見えながら、襞々に複雑な濃淡を秘めた起伏に富んだものであった。無数のむざんな死と、愛憎と権謀とに血なまぐさく彩られ、好むと好まざるとにかからず嘉智子自身、その渦中に漬かりながら宮中での歳月を、流され流されてすごしたのである。
 罪と知りつつ、あえて犯した罪もあり、結果から見て彼女に帰すべき罪もあった。巷に餓える者がい、病み凍える者が充満するかぎり、皇后の顕位にあることじたい、すでに罪なのだ。そうなるべく望み、そのために戦った生涯である以上、犯した罪から目をそらす気はなかった。罪に課せられる当然な罰からも、卑怯に逃げかくれするつもりはない。

 地、水、火、風の四元素から成り立つ人身は、死ねば元の空に━無に還る。死後の世界にまで延長して自己を認識する霊魂などというものは、実際には存在しない。地獄を現出するのも浄土を形成するのも、すべて生き身のうちの働きであり、だからこそ、今日ただいまのこの〃生〃をいかに生かすかが、重大な問題となるのだ、との、明快な把握であった。
「四大元空」
つぶやいた瞬間、嘉智子の中のこだわりが、乾いた軽やかな音を立てて、からからと崩れた。一種の悟りであったかもしれない。しかし意識としては、そんなものものしい自覚もなかった。
 以来、しばしば彼女の心象に、夕焼けの寂光が拡がった。この世ならぬ美しさで音もなく燃える茜・・・。その下に累々と打ち重なる死者たちも、すべて無言であった。音のない、透明なあかるさの中で、新しい屍体、古い屍体の上に進行していた壊滅の種々相━。河原の土手で目撃したあの光景である。
 戦慄と恐怖なしには想起できなかった惨状を、魔訶止観に説かれている九相観として、平静にいま、嘉智子は思い返した。
 息を引き取って七,八日たつと、人間の亡骸はすさまじく膨張しはじめる。これを脹相という。やがて腐乱がはじまる。壊相という。さらに進んで血塗相となり膿爛相の惨鼻を呈する。蛆と蠅にまみれ、死臭はなはだしくなるのはこの期間だ。ついで青瘀相が訪れ、噉相の段階に入る。もはや人体とは思えない。青ぐろく色を変じ、野犬、狼、鳶鴉などに噉い尽くされて、わずかな筋や肉、贓物のたぐいが骨にからまりついているだけとなる。それらも風化すると骨相あらわれ、ばらばらに骸骨が散乱して散相に達する。そして最後、土に帰納する焼相まで、九つに分かれた変容を九相観と称するのであった。
 修行の手段としてではなく、あるがままの滅びの姿として、嘉智子はくり返し、若き日の、あの目撃を脳裏によもがえらせた。
(わたしもいずれああなる)
 そう思うことで、むしろふしぎな落ちつきが与えられた。
 火葬にせよと遺言し、山頂の夕風の中で骨粉を撒かせた淳和院、即身仏になることを誓ってがん中にこもった空海・・・。その、いずれでもなく、自分の死後は、遺体を野辺に捨ててほしいとさえ、嘉智子は願うまでになっている。女人として最高の顕位に座り、それゆえに、千人の兵士によって具象化されている千の罰を受ける身なら、野ざらしの壊滅こそいさぎよく、ふさわしかった。


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