読書記録

2006年06月13日(火) 淳和院正子         三枝 和子


いつも感じることだけれど女性の書いた作品は天皇位に執着を持たない設定が多い。
この53代天皇の淳和院もそういう設定になっている。そして正子もそんな夫の生前の言葉を思い出しながら,我が子可愛いさゆえの煩悩ゆえに天皇の位への執着を捨てて仏に仕える生活に入っていくのだ。


「私には、自分の子が可愛いいという煩悩がある。これが捨てられないのだ。何も皇子を天皇にしたいのではない。重々のしがらみのなかで、私が位に即かなければ皇子の命が危ういと思われることがあったのだ。妻を得、子供をつくって生きていると辛いことが多い。私は弱い人間だからこのしがらみに縛られて生きて来た。死ぬことによってしか、このしがらみから自由になれないことが、いまになってやっと分って、せめて死後の成仏を願って、葬儀は薄葬、散骨にしてほしいと遺言するつもりだ。」
散骨自体、前例がない。突っ切って突っ切れないことはない。日頃から山陵に神として鎮まるのではなく、仏法にしたがい、尽十方(じんじっぽう)に遍満する救世の大悲である仏と一つになる散骨を願っていた淳和上皇の望みをかなえようとする正子。


先に読んだ「壇林皇后私譜」の橘嘉智子の娘になるが、二人の間には少々確執があったようだ。


恒貞親王廃太子〈承和の乱・842年〉に関わった母を、正子はそんなふうに捉えて納得した。もちろん藤原良房の陰謀であることは疑いようもないけれど、無意識にその陰謀に加担した母に、正子は、正子を国母にしたくなかった母の奇妙に屈折した心情を感じとっていたのだった。
━しかし、それもこれも、もう終りだ。
もう終りだと思えば、母とのあいだのあらゆる事柄が無意味になって来る。あらゆる事柄に対する執着が消える。正子は、死んで成仏するということの意味が初めて分った気がした。生身の人間であれば総ての執着を断つなどということは滅多にできるものではない。死んではじめて、どの人でも執着が消える・・・・・。
━真如法親王さまなら、私がこんなふうに言い出したら何とお答えになるだろう。
 正子は法親王と恒貞親王が空海の「即身成仏義」について話しあっていた場面を思い浮かべた。たしか、「三劫成仏〈三大無数劫すなわち無限の長い時間、修行して初めて成仏するということ)」のちがいを討論していた。そのことが、いま、確執のあった母の死を目前に、はじめて逆算して分って来たような気がしたのだ。つまり、限りなく死に近く生きる・・・。自分は死ぬことはできなくとも、相手が死んでしまえば、その関係は執着でなくなる。現実に相手が生きていても、死んだものだと思ってつきあえば、執着のない関係は可能になる。相手が執着の関係を迫れば逃れればよい。



正子も橘嘉智子も書き手によって印象がかなり異なる。
いくら母娘でも相性というものが確かにあるのだろう。
まして時代という抗うことのできない状況を考慮に入れるとしたら。
橘嘉智子のいう流され流されて生きてきたというほうが私は共感を覚える。
母とても生身の人間なのだから・・・。








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fuu [MAIL]