たしか去年に日本人が一番好きな偉人のアンケート結果が公表されたことがあって、そのとき堂々の一位だったのが織田信長だった この結果に私は・・ん・・と感じたことを覚えている
そしてこの女信長である 織田信長は実は女だったというものだが、何と面白い発想だろう だが 考えてみれば作者の数だけ物語は作られるわけで、その独自の歴史的解釈に我々読者はドキドキさせられるのだろう 父の信秀に無理に男に仕立てられるも、斉藤道三には見破られそれでもお濃と一緒になる そのお濃は御長(オンナでいるときの名前)と親友として暮らしていく 最初は取っつきにくい話だなぁと読みにくかったけれど、浅井長政や明智光秀とオトコとオンナの関係になるにいたっては、もう面白いというしかない 謀反を起こしたのは光秀ではなくて、秀吉がオンナであることの正体を見破って毛利と謀反を企てたため、光秀は愛する御長を救ったのだ、命を懸けて・・ああなんと面白い発想だろうか
「人生五十年、下夫のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり」 織田信長という男を演じて、御長の人生は文字通りに夢幻のようなものだった。実際、しばしば自分が覚束なくなる。なにものなのか。なんのために生きているのか。兜をかぶり、太刀を穿き、戦にまで繰り出して、女である自分が一体なにをしているのか。そうやって自問が際限なくなる夜も、一度や二度のことではない。 もちろん、自負はあった。女の身でありながら、織田の家督を任された。御屋形として尾張一統を果たしていれば、女だから劣るなどと考えたこともない。が、なぜ女として生きることを許されなかったのかと、異常な宿縁を恨みに思うときもあるのだ。 「女である私が、どうして、こうまで、苦しまなければならないのだ」 とはいえ、最近では自問も達観に行き着くことが多くなった。どれだけ嘆き、どれだけ煩悶したところで始まらない。今さら後戻りできないという理だけは、すでに曲げようがなかった。織田信長という幻を立てるために、すでに多くが死んでいったからである。 死者に同情するつもりはない。ああ、ひとたび生を得て、滅せぬもののあるべきか。そう突き放すことで、御長は挫けそうになる自分に言い聞かせることにしていた。ただ死者の重さだけは受け止めなければならないのだと。夢幻なら夢幻の五十年を、また私も走り続けるしかないのだと。
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