読書記録

2007年05月17日(木) 青衣童子(せいいどうじ)        森 真沙子

 天平9年、奈良の平城京に奇病が進入した。全身に湿疹ができ、疱瘡のように膿んで、苦しみもがきながら死んで行く。侵入経路は、遣唐使など大陸から帰ってきた大使などからで、九州を経て、京に侵入した。鬼病(えやみ)と言われ恐れられたが、折からの日照りや、ついに藤原の四兄弟に累が及ぶに到り、祟りだと言われるようになった。そして、青衣童子が現れると、藤原の四兄弟が命を落とすというウワサが町で囁かれるようになる。

ホラーというか復讐劇だけれど、うん、面白かった
文武天皇の皇子は後の聖武天皇だけだと思っていたけれど、火明皇子(ほかりのみこ)という首皇子より十一ヵ月早く生まれた皇位継承の有力候補者がいたのだそうだ・・(これは案外、事実かも・・)
当時は母親の出自(有力な庇護者がいるかどうか・・)によって、いくら天皇の子供として生まれても運命が決まるといっても過言ではなかった
まして今をときめく藤原家にかなう者などいるはずがない
降ってわいたような仕組まれた遣唐使派遣によって、火明皇子(出家して慈空となっていたのに・・である)は荒れた海を沈める持猿として逆巻く暗黒の海に飲み込まれていった。
宇合に貰った青海の衣を経帷子にして・・

無人島で14年もの年月をひとりで生きて、境部石足として奈良の都に戻ってから藤原家への復讐をはじめた
青衣童子として藤原四兄弟に襲い掛かっていったのだ
藤原四兄弟がもがきで死んだというのは歴史の定説だけれど、案外 時の権力者のごまかしだったかもしれない
長屋王の抹殺を計った藤原家への怨念だという説もあるのだから・・
歴史にもしも・・はないけれど、素晴らしい作者の創作(・・私には創作とは思えないのだが・・)が私たちを楽しませてくれるのだ









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