まず思ったのはいつ頃の物語なのだろうか・・と。
どうやら1779年、徳川十代将軍家治の頃のようだ。
木喰戒とは、米、麦、粟、黍、豆の五穀絶ちをし、火にかけた食物を摂らないで木の実や蕎麦を食べる修行なのだそうだ。 そんな木喰僧行道にとりついたのみやしらみを通しての世相というか修行の原理が書かれている。
雲は風に流されていくだけなのだから、どこにいくのかは風に聞いてみなければわからないのだ。のみにしてもしらみにしても、お上人が足の向くままいくところにいくしかない。つまり雲と同じなのである。行く雲のように、流れる水のように、とどまることなく道をいくのを僧というのだから、自分たちも僧と同じ修行をしていることになる。こうして垢だらけの襟元にしがみつき、腹が減ったらちょっと血を吸わしてもらい、あとはうつらうつらと眠っている。たえず仏道修行ができるのだ。こんなにありがたいことはない。
木喰の裸の姿眺むれば のみやしらみの餌食なりけり
木喰行道
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