読書記録

2007年11月01日(木) 道元                立松 和平



 福井にある永平寺にはたしか3回くらい行ったはず・・。
でも どこを見物していたのか、若い雲水の説明も聞いたはずなのに何も覚えていない。
道元が永平寺の開祖だったのだ。

でも この本の禅問答は私には難しくて
読み終えるのに ふつうの倍の時間がかかってしまった。

物語の最初の頃に
文殊丸と呼ばれていた道元が本来本法性、天然自性身、人は本来さとった仏であるのならば、諸仏はなんのために志を立ててこの上ないさとりのために修行するのか、という疑問をいだいている。
日本でどの師もこの道元の疑問に答えられなかったので、宋に渡ってからも本当の正師を求めて道元は放浪するのだ。
道元のさとった答えは文中にあるようだけれど、私には分らない。
作者は書くこと、自己を見詰めることが、道元禅師の歩みとともに自身の修行だと記するけれど、答えの見つけられない私はさらに読め、もっと深く読めということなのだろうか・・。

花の咲くのを追ってきて、水の流れをたどってきて、自然のうちにいつしか導かれている。森羅万象の中に分け入り、そこに流れる真理を知ることこそが、仏教への信を持つということである。道元の言葉をたどっていくと、花を追い水をたどっているうちに遠くまでやってきた自分を感じることができる。その認識が嬉しい。
                 作者 後記より























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