| 2007年12月09日(日) |
百名山の人 田澤 拓也 |
NHKで『日本百名山』を見たのは何年前だったろうか。 もう亡くなられているけれど相川浩というアナウンサーの朗読がとても素晴らしくて、まるで自分自身が登山しているかのように山の清浄がつたわってくるようだった。 その短い番組で初めて『深田久弥』という名を知った。 登山家である前に作家だったが、若い頃に発表した作品は最初の妻である『北畠八穂』との共著だったらしい。 私は『深田久弥』という作家のことも『北畠八穂』のことも知らなかった。 『北畠八穂』は脊髄カリエスで寝たきりに近い状態だったので、妻を置いて山に登るうちに深田は初恋の人にめぐり合い子供を作ってしまった。 折からの徴兵で中国に行き、復員後は北畠の元には戻らず子供をなした しげ子と暮らし、故郷の大聖寺に引っ込んでしまうのだ。 それでも山好きが高じて、次第に世間に認められていき『日本百名山』へと深田の戦後の人生がつながっていくのだ。
私は山が好きだから、骨董を愛する人が骨董を見ると目の色が変わるように、山を見ると心がたかぶる。どんな山でもいい。五十年、私は山をながめ、山へ登ってきた。学者でもなければ、クライマーでもない。ただ山が好きの一事に尽きる。その愛する山にオマージュを呈しようというのが私の念願であった。
今 中高年による登山ブームとも聞く。 私ももっと若い頃から山に登っておけばよかったと思う日々だ。 今は目先のことにかこつけて毎日を送っているけれど、せめて 『日本百名山』のDVDを手に入れたいと願望している。
|