室町時代、将軍義満に寵愛され能の大成者となった世阿弥だが、72歳のとき六代将軍義教によって佐渡に流されてしまった。そんな世阿弥の晩年が華々しい遠い過去を懐かしみつつ、老いや子供たちとの確執、別れ、佐渡での新たな生活が一人称で書かれている。
人の命ほど儚いものがあろうか。人はどこから来て、どこへ行くのかも知らぬ。幾年この世に止っていられるか、誰も本人には解っていない。自分で出自を選ぶことも、親を決めることも出来ない。明日の運命さえ知ることは出来ぬ。確かなことは、何物か、人外の大いなるものの意志によって、この世に送り出され、それもまた自分の意志ではなく、この世に生かされているに過ぎぬ。平凡な人生をたどろうが、善きにつけ、悪しきにつけ、非凡な世渡りをしようが、すべては持って生れた己が運命に依る。
タイトルの秘花という言葉にいささか興味があった。 文中の 「秘すれば花なり。秘せずば花なるべからず」 という言葉は正直なところ私にはよく理解できないでいる。 何気にエロティックな匂いをかんじさせるこの言葉は煩悩という意味だと私は思うのだけれど・・・。 「煩悩が悟の火種になるのだ。人間というのは不可思議なものだ。その不可思議さをたどれば、まだまだ興味深い物語も、能の舞台も人の歓心を誘うだろう」
命には終りあり 能には果てあるべからず
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