| 2008年08月05日(火) |
有明の月 澤田 ふじ子 |
豊臣秀次の生涯
豊臣秀次は秀吉の甥にあたり、秀吉から関白職を移譲されて後継者と目されたものの、謀反の罪を着せられ、切腹を命じられた。 事の真意はともかく秀次は惨酷で常軌を逸した 殺生関白 などと叛逆の罪を着せられたまま今に伝えられている。
信吉、木下孫七郎、三好孫七郎、羽柴孫七郎秀次、豊臣秀次と叔父秀吉の出世に伴って秀次も何回も名を変えて、自分が何者か分からぬようになってしまったのだろうか。 この物語では秀次の罪になるような描写は何もなくて、ただただ叔父秀吉の血に繋がるものとして文武に励み、深い見識を備えた一人の凛々しい若者像として成長していったのだ。 秀吉の後年に秀頼という実子が生まれたことが秀次の不幸の始まりだったのだ。世間によくあることで子ができなかったので養子を迎えたら実子が誕生した。そうなったら我が子可愛いさでその養子が疎ましくなってくるのだ。
物語では秀次が茶道の心得ありとして、後に同じような運命を秀吉から辿らされた千利休との交流が描かれていた。
ほととぎす 鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞ残れる (千載集・藤原実定 小倉百人一首より)
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