| 2008年12月09日(火) |
華の碑文 世阿弥元清 杉本 苑子 |
碑文とは ふつう石碑に刻み付ける言葉だろうけれど、『華の碑文』とは・・華に刻み付ける・・私の解釈ではそれぞれの心にある華、すなわち魂に刻みつけるということか・・?
新しい猿楽の創始者である観阿弥とその天才的継承者である世阿弥の芸が音阿弥へと続き、『能』となって今に伝わる。 世阿弥の思いは自分達だけに留まらずに、五百年後も千年後もずっと幽玄な芸として『かんぜの能』が継承されることを願った。
「無用のことをせぬと知る心」 「せぬ心のおもしろさ」 を論じ、芸位の究極を『蘭位』━蘭けたる位に置いて、無心の感、無位の位風にあこがれ、そのための『定心』の確率に腐心してきた。 「せぬ」とは、何もしないのではなくて、逆に、はりつめた精神活動の燃焼を指す。日々夜々、行住坐臥、寸刻の油断もなく修行し、美の本質へ向って肉迫しぬく心・・・・・。その『定心』の展開が、行きつき、ひらきつくしたところに、しんじつ、人を打つおもしろさは生れる。人は移り、時代は変っても滅びることの無い美は、はじめてここにこそ花ひらくのだ。
僅花一朝・・・・・
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