読書記録

2009年10月21日(水) 阿修羅                  梓澤 要

私の持っている国語辞典によると阿修羅とは
『六道の一つ。そねむ心の強い者や、怒りやすい者が死後生まれかわるという世界。修羅道』とある。

と いうことは この物語の主人公である橘奈良麻呂が人よりそねむ気持ちが強いというのか。
今まで読んだ別の物語で私なんぞはついぞ気がつかなかったわけだが、奈良麻呂の両親は同母から生まれた兄妹だったのだ。
これは驚きだが全くもってそうなのだ。
父は美努王と三千代の間に生れた橘諸兄、
母は不比等と三千代の間に生れた多比能。
幼名泉王といった奈良麻呂が自分の存在の忌わしさを呪っても自然なことなのだ。
そして後世に生きる私たちは『橘奈良麻呂の変』を知っているから
奈良麻呂の未来が無残な杖死になることがわかっている。
だから私は物語の途中で何度も
「奈良麻呂よ、ずるくてもいいから生き延びてくれ」と叫んでいた。

万福の弟子で仏師の嶋は阿修羅像を制作するにあたって泉王と呼ばれていた頃の奈良麻呂をモデルにしている。
実際阿修羅像はまだ少年の余分な肉など一切無い伸びやかなスリムな肢体を見せてくれるのだ。
ただぎゅっと眉を寄せる苦悶にも見える表情が奈良麻呂の心の迷いと見れば大いにうなずけることではある。


作者あとがきより
興福寺国宝館のガラスケースの中からわたしたちを見つめています。ガラスケースの前は、床のリノリュームが剥げてしまうほど大勢の人が立ちどまり、熱心に見上げています。日本でいちばん愛されている仏像といっても、
けっして過言ではないでしょう。
触れれば血肉のぬくみまで感じられそうな人間的な仏像です。その繊細な表情、ものいいたげな口元やまなざし、折れそうにきゃしゃなからだつき……でも、造られたときには、全身、炎のような緋色に塗りたてられていたと
知れば、阿修羅の持つ本来の意味、荒々しく暴れ狂い、そして身悶えて苦悩する姿を想像することができます。
奈良麻呂はそのとき、十三歳。そして阿修羅は、彼の祖母の冥福を祈るために造られた……。













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