小野田少尉発見の旅
私より一歳年上のほぼ同年代の作者のほんとうに放浪の旅の記録だ。 法政大学を届けも出さないまま中退、親にも置手紙だけでわずか二十万円だけを持ってアジア・中近東・ヨーロッパ・アフリカと結果としては四年にわたる大放浪の旅に出た。 正に怖いもの知らずで、何故か発展途上国が肌に合うようで野宿もいとわず食べ物も選ばず現地人の生活に飛び込んでいく。
大放浪の後、一時日本に帰っていたが かつて「小野田さん・雪男・パンダに会うのが夢だ」と語っていたこともあり、ちょっとそこまで出かけるような感じで小野田さんを捜す旅に出かけるのだ。 そして小野田少尉との接触に成功する。 その後は 結婚もするのだが定職には就くことなく「雪男発見」に情熱を注ぎ、1986年11月 ヒマラヤ・ダウラギリIV峰ベースキャンプ附近で遭難したとある。 小野田少尉は鈴木さんの慰霊のためヒマラヤを訪問しているようだ。
何かがそこにある。何かが僕を待っている。その何かを探し求めてまた国境を越える。 そこにも人間が生きていた。朝起きて顔を洗ってメシを食って仕事に出かける。なんの変哲もない生活の連続があった。 しかし、僕はその平々凡々たる人間の営みのなかに飛びこむことによって、貴重な体験を重ね、生きている充実感と満足感とを味わった。これが旅というものだろう。
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