| 2009年11月08日(日) |
落日の宴 勘定奉行川路聖謨 吉村 昭 |
下級幕吏からスタートして、佐渡奉行・奈良奉行・大阪奉行と幕末きっての名官吏として公事方勘定奉行に就任。 嘉永6年(1853年) 下田でロシア使節プチャーチンとの日露和親条約に調印。 その後 安政5年(1858年)には 堀田正睦に同行して日米修好通商条約を調印する。 井伊直弼が大老に就任してからは左遷・差控と引退を余儀なくされていく。 そして徳川幕府が崩壊した時、江戸の自宅でピストル自殺をする。
作者は聖謨のことを 幕末に閃光のようにひときわ鋭い光彩を放って生きた人物だと評する。 軽輩の身から勘定奉行筆頭まで登りつめたことでもあきらかなように、 頭脳、判断力、人格ともに卓越した幕吏であった。 下手をすれば諸外国の植民地にもなりかねない激動期に、幕閣が聖謨のような有能な幕吏を積極的に登用し、そしてその期待に十分にこたえたのだ。
それにしてもとても丁寧な物語だったというのが私の感想だ。 私は奈良奉行だったということで興味をもって読み出したのだけれど、その私の期待にも十分こたえてくれたことだ。
それにしてもタイトルが切ない。。。 徳川幕府崩壊とともに中風の後遺症で思うにまかせない己を感じてピストル自殺とは。。。 聖謨の考える武士道であり美学なのだろうけれど。。。
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