私はこの作者の小説は『落日の宴』という幕末の勘定奉行川路聖謨を書いたものしか読んでいないが、とても丁寧な小説と感じた。 折りあれば他のものも読んでみたいと思っていたが、今回 このエッセイで作者が戦史小説も書いていたことを知った。 最初はノンフィクション物を書いていたが戦史小説へ、そして歴史小説に変えていった理由が書かれていた。
あの時代 戦前と戦後では教育も人の考えもイヤでも変らざるを得ない状況で、自身が体験した戦争の姿を見つめ直すことにもなったからだという。 そうして戦史小説を書きつづけるが、話を聞きたい人の数が減っていく。 体験者、経験者、証言者、技術者の話が聞けなければ、作者の小説手法は段々手詰まりになって行く。 だんだんと戦史小説を書かなくなってそして歴史小説を書くようになる。
その中では歴史小説と称する以上、史実を物語の展開のために改竄してはならないと考えたようだ。さらに歴史資料以上にもっともっと細かい様子、 たとえば天気や風景など、詳しく現地へ行って資料を探し出し、それを元に小説をよりリアルに描こうとする。 つまり書くものは変わったけれど、戦史小説でも歴史小説でも、事実を動かさず調べることの方法や材料は、生きている人からの証言から、文献や現地調査と変わっただけであり、ともに同じやり方だと言っているのである。
とても正直で実直なお人柄だと感じた。
そして本書の中で、作者は歴史小説を書くに立っての姿勢を次のように述べる。 「歴史小説にあっては、史実と史実を埋める部分は、創作によらねばならぬが、 その創作も恐らくこうであったにちがいないという確かな根拠から発したものではならない」 作者は、その史実と史実を埋める作業が、作家としての楽しみであるという。
そんな作者のおかげで私たちは小説の世界に飛び込んでいけるのだ。
作者は旧制中学校を卒業した年の8月15日に浦安の廃業したクリーニング屋の前で玉音放送を聞いた。
私はクリーニング屋の前をはなれ、造船所に通じる入江ぞいの道を歩いた。路面は白い貝殻屑におおわれていた。 空はにぶく光り、白っぽかった。 戦争に負けるということは白いことなのだ、と妙なことを考えながら、私は白い道を歩いていった。
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